車から撮った写真。茨城、千葉を走っている写真

線香の 煙たなびく 冥土道

よく見ると、鉄塔がお線香のようでした。

車から撮った写真。茨城、千葉を走っている写真

この終わり 悔やんで幾度も 茂る草

幾度も訪れる後悔。もっと、もっと話をしていれば。もっと会っていれば。

さよならは 今は死語だと 高校生

三回忌に来ていた高校生が、「またね」「お疲れ様」「バイバイ」は使うけど、「さようなら」は使わないと言っていました。まるで永遠の別れみたいだから、と。

さようなら とそれなら言う でも違う

亡くなってしまったのだから「さようなら」がふさわしいでしょうか? さようならには、もう会わない、そしてもう思い出さないというニュアンスを感じて、違うように思いました。

筑波山 変わらず出会う 春夏秋冬

義父が亡くなった秋、義母が亡くなった冬、義妹が亡くなった夏。人はいなくなり、山はいなくならない。

夏の夕陽 君のお土産 迷信でも

自分のことよりも人への気配りがいっぱいだった君。帰り道の美しい夕陽も、まるで君が用意してくれた土産のよう。

陽の燦めき 幾たびも超え 利根川よ

利根川。この特別な川。千葉と東京を別ける川。わたしにとって多分に、束縛と自由を別ける川。

また来るね うん待ってると笑顔 嘘ついた

何気ない世辞を、真剣に受け止めていたかもしれない、かの人。何気ないはやめよう。もうやめよう。

科学では 人って死んでも 原子核?

荼毘に付されて煙になっても、原子になって大気中に残ると、聞いたことがある。人の命はそういう意味でも永遠だと聞いたことがある。

空のカーテン 開けたら見える 夏の浄土

科学はともかく、もしもカーテンのように空を開けられたら…

三回忌 ポクポクと別ける あの世この世

三回忌の間に思ったこと。お坊さんの念仏と木魚を叩く音で塀を立てるんだなと。あの世とこの世の間に塀を。本当は、あの世はこの世に、重なるように近いのかもしれない。

過ぎ去っても 過ぎ去ってもまた 陽の車

今日が去って行く。そして、次から次へと、去っても去っても、悩みや苦悶が訪れる。それで死ぬわけじゃないけど。その間がこの世。その間が夏。その間だけが、命なんだ。