相模原殺傷事件について


Exif_JPEG_PICTURE
道標なき世界を生きる。まるでメクラのように手探りで

先月の26日、愚かしさと卑劣さと非人道ではISISもまっつあおな事件が発生した。
何がまっつあおって、ISISは障害者の寝込みを襲うほどには卑劣ではなくて、健常者を昼間に自爆しつつ殺傷しているのだから。

容疑者植松某の殺人理論は聞くに耐えないほどくだらないもので、他人の「命の価値」なるものを自分勝手にジャッジした挙げ句にTwitterを用いてビューティフルジャパンとかって安倍晋三の「美しい国」もどきの発想をし、「世界平和」とかって、何がどう連絡したらこいつの行為とそういう言葉がつながるっていうのか。

ナチスのT4の影響を受け、誰の命が価値があるとかないとか言ってるが、この地球上に命が発生した理由すら誰にも分かってないのに、命の価値の上下を云々できる人間なんかいるわけがないのだ。

宇宙的、地球的な視野を欠いた、狭い了見で偏差値だ学歴だのと人に順番を付けてばかりいる教育だから、こういう奴が育ってしまうんだよっ!!とひとしきり腹がたった。

いやしかし。必ずしもそういう事ではないかもしれない。なぜなら、それならもっと早くにこういう事件が起きていそうだからだ。

ということで、他の人が述べていることも調べてみた。

「相模原障害者殺傷事件・日本社会の中に潜む事件の遠因を考える」

ジャーナリストなら「小さな兆候を見逃すな」と肝に銘じてるとのことで、小さな兆候の重要性が強調されている。そうだとするなら、このような大きな事件が起きてしまうことを予兆するような、小さな兆候が何だったのか? と考えると、このYouTubeのコメント欄にもあるがあれもこれもと思いあたりはしないだろうか?

単純に考えても、一ヶ月間必死で働いて得た給料が、生活保護の一ヶ月分の支給額に及ばない、という事態がどれだけ異常なことか。生活保護を受けるのはたいがい弱者であるから、報酬少なく働く者の中に、弱者を憎悪する心象が育ったとしても不思議は無い。いや、この状況で「弱者を憎むな」という方が無理な相談だ。

もう随分と以前から、企業の内部留保だの、度重なる法人税減税だの(90年代のはじめからやっているという)、労働者ではなく株主ばかりを優待する体質だのという話がずっと続いている。

給料を上げないでどうするんだっつー

むろん、給料を上げろと声を上げない労働者も悪いだろう。

余談だが「労働者」という言葉を使うと自分のことじゃないと思いがちなので、「給料をもらっている人」と言いかえてもいい。

ともかく給料もらってる人は、声を上げない自分が悪いのだろうと自己責任論的に思っているが、そういうことは労働組合のように人と一緒にならないと出来ない。自分だけ給料が安いじゃあまりに惨めで自己の尊厳を破壊するからだ。

さらにまた自己責任論的に、自分が給料を払う側(つまり経営者)になれなかったのが悪いと思っているのかもしれないが、給料をもらう側は、消費をするという大仕事があるので、そんなのはまったく引け目に思う必要はない。

いや、込み入った話はいい。

給料を生活保護水準より上にあげないと、どうしようもないでしょうって事。

事件被害者の名前を伏せたやり方は障害者差別じゃないかとの批判もあるのだが、とても実名公開はできないとの身内の人の切実な話だ。
(これに関しては、そもそも犯罪被害者の実名をさらす必要があるのか、という意見もある。)

マスコミの事件の報道の仕方、加害者の言い分(ナチスに影響を受けた醜い考え方)をそのまんま垂れ流していたらしい(うちは幸いにもテレビがない)。障害者の人が不安になったと思われる。しかるべき人達が、この事態に対しすみやかに、邪悪な情念を跳ね返す言葉を発したのは良かったと思った。

実のところ、T4ほどではなくても、優性思想というのはもっとも単純でガキっぽい発想であるから、もともと多くの人が持ちやすい。それを、山を越えるように、自分で考えながら乗り越えていくのが「成長」ってやつだ。(教育も大事)

しかし成長しそこねた奴も出てくる。
そういうのと、障害者のいる場所は近くない方がいいのじゃないか。
ところが現在のような、金のためにとか食うに困らないからという理由で、介護や医療に人が寄ってくると、まずいことが起きやすくなるのじゃないかと、この記事を見て思った。

あと、現代の過剰ポリティカルコレクトのせいで、優性思想への耐性がつかなくなり、一度その想念に取り付かれたが最後、虜になるバカが生まれやすいのじゃないかと考えると、怖ろしいことだ。

本来、優性思想的なことや差別的なことを口に出しても、それを叱る人間がいることで是正されたり、内省が生まれる。そういう回り道が避けられていないか?

★ ☆ ★ ☆

事件を予兆する小さな兆候があったとするなら、それが何であったかを、わたしなりに考察した。

二度と、こういう事件が起きないことを願って。