ティファニーで朝食を一場面

”ティファニーで朝食を”について

ティファニーで朝食を一場面
”ティファニーで朝食を”の冒頭。早朝のニューヨーク五番街。タクシーでティファニーに乗り付けたホリー

自分の過去ログの話で悪いんだけど、2008年に書いたプラダを着た悪魔の感想に最近、来訪者が殺到(当社比だよあくまで)していて、これはいよいよわたしの時代が始まったのかとちょっと浮き浮きしたくらいだった。

その一方、あの中に一箇所、あまり読まれたくない記述があるため、焦る気持ちも大きくなった。

映画『ティファニーで朝食を』の悪口を書いている箇所だ。実のところ当方、あの映画を最初から最後まで見たわけではないのである。見てもいなくてのダメ出しだから、当時から気がひけていた。

が最初の方は見てるので、いいかと思ったのだ。オードリー演じるホリーがスラスラ文字を読んでしまっている、という致命的な間違いは冒頭に出てきた。のちに恋仲になる新進作家のポールの部屋に奔放にも転がり込み、魅惑的なおしゃべりをしながら手に取った本のタイトルを、「nine life(9つの命)」と。

そう、原作のホリーは文字が読めない。もちろん書くこともできない。ホリーはそれを誰にも知られたくなくて、ああだこうだとMEMOを書かずにすます言い訳をしていた。また、読めもしないのに図書館に不自然に通い、分厚い書物を相手にする描写も印象的だった。が、作者のカポーティは、そうとは明記していない。ホリーが誰にも知られたくないと思ったものを暴き立てたりしていない。作者の特権を振り回して暴くのではなくて、外から描写する、というのがカポーティの書き方だ。

でもって原作のホリーが「ティファニーでいつか朝食を食べたい」といった流れには「ここが一番落ち着く」というのがあり、つまり、圧倒的な物質の力、強大な資本の力が支配する、不滅の美しさと輝きを陳列した宝石店が、言葉の対極にあるものとして、読み書きのできないがゆえの不安を吹き飛ばし落ち着くと。そういうことなんだろうと、思った。

アメリカの価値観を象徴している。ともいえるかもしれない。

で、ついさっき契約したhuluで最後までみたらアメリカの価値観を大きく取り入れた内容だったため、そういう意味では大きくずれまくっているわけではないと、思った。

ここで長くなるが、
オードリー・ヘプバーン - Wikipedia から引用してみよう。

『ティファニーで朝食を』[編集]

『ティファニーで朝食を』のオープニング・シーン。ヘプバーンが着用している黒のドレスはユベール・ド・ジバンシィがデザインしたものである。
ファーラーとの間の長男ショーンが生まれた三カ月後の1960年に、ヘプバーンはブレイク・エドワーズの監督作品『ティファニーで朝食を』に出演した。この映画はアメリカ人小説家トルーマン・カポーティの同名の小説を原作としているが、原作からは大きく内容が変更されて映画化されている。原作者のカポーティは大幅に小説版から離れた脚本に失望し、主役の気まぐれな娼婦ホリー・ゴライトリーを演じたヘプバーンのことも「ひどいミスキャストだ」と公言した[50]。これは、カポーティが主役のホリー役には友人であったマリリン・モンローが適役だと考えていたためだった[51]。また、映画脚本のホリー役も原作からはかけ離れた演出がなされており、ヘプバーン自身も「娼婦の演技はできない」ことを製作者のマーティン・ジュロウにもらしていた[51]。

原作のホリーの魅力でもあった性的風刺に満ちた言動は皆無だったが[51]、ヘプバーンは1961年度のアカデミー主演女優賞にノミネートされ、ヘプバーンが演じたホリーはアメリカ映画を代表するキャラクターになった。このホリー・ゴライトリーはヘプバーンを代表する役といわれることも多く[52]、映画版『ティファニーで朝食を』でのホリーのファッションスタイルと洗練された物腰が実際のヘプバーンと同一視されるようになっていった。しかしながらヘプバーンはこの役を「人生最大の派手派手しい役」と呼び[53]「実際の私は内気な性格なのです。このような外向的な女性を演じることはかつてない苦痛でした」と語っている[54]。『ティファニーで朝食を』の冒頭シーンで、ヘプバーンが身にまとっているジバンシィがデザインしたリトル・ブラックドレス(シンプルな黒のカクテルドレス (en:Little black Givenchy dress of Audrey Hepburn)) は、20世紀のファッション史を代表するリトル・ブラックドレスであるだけでなく、おそらく史上最も有名なドレスだといわれている[55] [56] [57] [58]。

カポーティがホリー役にはマリリンを適役と考えていたというのは、面白い。
ヘプバーンではあまりにもホリーとホリーのファッションがステキすぎてそっちに眼がいってしまうが、マリリンならもっと違っていたかもしれないし、マリリンの方が的確に原作を把握して表現できたかもしれない。

逆説的だけど、オードリー・ヘプバーンが演じたことで、ファッションを通して資本というものの威力が確定したんじゃないかとすら思った。
そして、原作のホリーがさまよっていた世界が万人のものになった、という気がする。


そんなで、けっして悪い映画ではない。
猫がとてもいい役回りで出てきてかわいいし。

以上の件を簡単に当該記事にも追記していおいた。※個人の感想です。


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