Skip to content

カテゴリー: 日記

本来、このカテゴリーはもっと更新があっておかしくないのですが、なかなか・・・。もっと気楽にアップしていきたいです

昔の日本人はこんな風に差別されていた。

記事の分類:日記

先日『色覚差別と語りづらさの社会学』を題材にした日記の続きを書いた。中曽根康弘の「土人発言」についてだ。

『ティファニーで朝食を』にも「土人」なみのひどい表現が出てきたので思わず書く。

メガネをかけ出っ歯でキーキーとうるさく喋り、精神は偏狭。

最初は日本人(日系人)と思いたくなかったのであるが、名前が「クニヨシ」?なのと、和装をしているので、やっぱ日本人なのだ。

特徴がこれに近い日本人も実際いるかもしれないけど、描かれ方が他の登場人物と明らかに違うテクスチャー。

当時のアメリカの観客はこれをみて笑っていたと、思われる。
もちろん、こっちはまるで可笑しくない。
昔の映画だから本気で腹が立ったわけではないけど、一度出番が来るとかなりの尺で喋るため、気分が悪くなった。

1961年頃は、こんなのがまかり通っていたのだ。

差別される側の気持ちなら十分分かってたはずなのに、中曽根さんの発言は1984年と、それから20年以上あと。
もう一回忘れないために引用した。

参照:ユニオシ – Wikipedia


日記・雑談 ブログランキングへブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村click!

”ティファニーで朝食を”について

記事の分類:日記
ティファニーで朝食を一場面
”ティファニーで朝食を”の冒頭。早朝のニューヨーク五番街。タクシーでティファニーに乗り付けたホリー

自分の過去ログの話で悪いんだけど、2008年に書いたプラダを着た悪魔の感想に最近、来訪者が殺到(当社比だよあくまで)していて、これはいよいよわたしの時代が始まったのかとちょっと浮き浮きしたくらいだった。

その一方、あの中に一箇所、あまり読まれたくない記述があるため、焦る気持ちも大きくなった。

映画『ティファニーで朝食を』の悪口を書いている箇所だ。実のところ当方、あの映画を最初から最後まで見たわけではないのである。見てもいなくてのダメ出しだから、当時から気がひけていた。

が最初の方は見てるので、いいかと思ったのだ。オードリー演じるホリーがスラスラ文字を読んでしまっている、という致命的な間違いは冒頭に出てきた。のちに恋仲になる新進作家のポールの部屋に奔放にも転がり込み、魅惑的なおしゃべりをしながら手に取った本のタイトルを、「nine life(9つの命)」と。

そう、原作のホリーは文字が読めない。もちろん書くこともできない。ホリーはそれを誰にも知られたくなくて、ああだこうだとMEMOを書かずにすます言い訳をしていた。また、読めもしないのに図書館に不自然に通い、分厚い書物を相手にする描写も印象的だった。が、作者のカポーティは、そうとは明記していない。ホリーが誰にも知られたくないと思ったものを暴き立てたりしていない。作者の特権を振り回して暴くのではなくて、外から描写する、というのがカポーティの書き方だ。

でもって原作のホリーが「ティファニーでいつか朝食を食べたい」といった流れには「ここが一番落ち着く」というのがあり、つまり、圧倒的な物質の力、強大な資本の力が支配する、不滅の美しさと輝きを陳列した宝石店が、言葉の対極にあるものとして、読み書きのできないがゆえの不安を吹き飛ばし落ち着くと。そういうことなんだろうと、思った。

アメリカの価値観を象徴している。ともいえるかもしれない。

で、ついさっき契約したhuluで最後までみたらアメリカの価値観を大きく取り入れた内容だったため、そういう意味では大きくずれまくっているわけではないと、思った。

ここで長くなるが、
オードリー・ヘプバーン - Wikipedia から引用してみよう。

『ティファニーで朝食を』[編集]

『ティファニーで朝食を』のオープニング・シーン。ヘプバーンが着用している黒のドレスはユベール・ド・ジバンシィがデザインしたものである。
ファーラーとの間の長男ショーンが生まれた三カ月後の1960年に、ヘプバーンはブレイク・エドワーズの監督作品『ティファニーで朝食を』に出演した。この映画はアメリカ人小説家トルーマン・カポーティの同名の小説を原作としているが、原作からは大きく内容が変更されて映画化されている。原作者のカポーティは大幅に小説版から離れた脚本に失望し、主役の気まぐれな娼婦ホリー・ゴライトリーを演じたヘプバーンのことも「ひどいミスキャストだ」と公言した[50]。これは、カポーティが主役のホリー役には友人であったマリリン・モンローが適役だと考えていたためだった[51]。また、映画脚本のホリー役も原作からはかけ離れた演出がなされており、ヘプバーン自身も「娼婦の演技はできない」ことを製作者のマーティン・ジュロウにもらしていた[51]。

原作のホリーの魅力でもあった性的風刺に満ちた言動は皆無だったが[51]、ヘプバーンは1961年度のアカデミー主演女優賞にノミネートされ、ヘプバーンが演じたホリーはアメリカ映画を代表するキャラクターになった。このホリー・ゴライトリーはヘプバーンを代表する役といわれることも多く[52]、映画版『ティファニーで朝食を』でのホリーのファッションスタイルと洗練された物腰が実際のヘプバーンと同一視されるようになっていった。しかしながらヘプバーンはこの役を「人生最大の派手派手しい役」と呼び[53]「実際の私は内気な性格なのです。このような外向的な女性を演じることはかつてない苦痛でした」と語っている[54]。『ティファニーで朝食を』の冒頭シーンで、ヘプバーンが身にまとっているジバンシィがデザインしたリトル・ブラックドレス(シンプルな黒のカクテルドレス (en:Little black Givenchy dress of Audrey Hepburn)) は、20世紀のファッション史を代表するリトル・ブラックドレスであるだけでなく、おそらく史上最も有名なドレスだといわれている[55] [56] [57] [58]。

カポーティがホリー役にはマリリンを適役と考えていたというのは、面白い。
ヘプバーンではあまりにもホリーとホリーのファッションがステキすぎてそっちに眼がいってしまうが、マリリンならもっと違っていたかもしれないし、マリリンの方が的確に原作を把握して表現できたかもしれない。

逆説的だけど、オードリー・ヘプバーンが演じたことで、ファッションを通して資本というものの威力が確定したんじゃないかとすら思った。
そして、原作のホリーがさまよっていた世界が万人のものになった、という気がする。


そんなで、けっして悪い映画ではない。
猫がとてもいい役回りで出てきてかわいいし。

以上の件を簡単に当該記事にも追記していおいた。※個人の感想です。


日記・雑談 ブログランキングへブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

あけおめ。

記事の分類:日記管理人からおしらせ

あけましておめでとうございます。

正月になると見直しているカラーバリアフリーガイドver1.01を今年も一から見なおしてみました。webの色覚テストの件はもういいかと思って削除したし、錐体編にはYouTubeを貼るなど、現代的チックな要素を盛り込みました。あと、トップページに文章を足してみたのでよかったら読んでね。

SixYearsにも「続く」のまま放置されている記事が何個かあるので、できたら今年「続き」とか「後日談」を追加したい。

アプリに色覚検査カラービジョンクエスト – Apps para Android no Google Play
あったりする。なんにしろ、数字を読ませるタイプには反対だ。指をなぞらすとか、並びを答えるのが人道的だと思う。なぜなら「読む」には特別な意味があるから。できる、できないなら、それは仕方ないことだけど、「読む」となると、そうはいかない要素がある。

まあここらは後でどこかで。

最近テレビにはまっている。年末に見たビートたけしのオワラボ – フジテレビ おかしくておかしくて「外に出してでベランダに出た」とかもー

もちろんMステはガン見した。レコ大は録画だけはした。ガキ使は見た。ガキ使、数年前に見た時はマンネリに感じたけど、なぜだか新鮮みがあって面白くて特に視覚探偵が出てきたところは2回もみた。紅白も録画したので、全部じゃないけど見てはまった。大竹しのぶさんが口がθになっててすごかった。意外にも聖子ちゃんがよかった。まだまだいけるぜ、って感じだった。あと坂本冬美もめさよかったね。割合ここらの年代の女性歌手は良いと思った。大竹さんはマツジュンに「圧巻のステージでした」とか言われ最後に手をとって出て行ったので、演出してる人の気配りすごいなって思った。

年が明けて新春お笑い浅草演芸場みたいのも面白かった。ニッチェという太め女子二人組の漫才が受けた。あとロケット団とかぜんぶ受けた(相当久しぶりにみたお笑いのせいか、みんな面白かった)。とりが爆笑問題だったので「なつかしーっ」と盛り上がった。ネタ的に、Instagramやらない人に通じるのかな?と心配になったけど(観客が年配の人が多かったため)面白かった。

あと、今録画してるのは『猫忍』と『山田孝之のカンヌ映画祭』。どっちも面白い。猫忍の主役の男性が無駄にイケメン過ぎて受ける。

そんなこんなでどうか本年もよろしく、でござる。


日記・雑談 ブログランキングへブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

Six Years 三年目終了。

記事の分類:日記管理人からおしらせ
迷路のゴール
浅草花屋敷の忍者迷路の、ゴール。くノ一志望笑だったためこういうのを見るとどうしても入りたくなるのであった。もっとバリエーションを増やして作ってほしいですね

今年2016年は、福島第一原発事故から5年目ということで、ガンが爆発的に増えると予言された年。今となっては、さほど興味をひく話題ではなくなった自分が怖い。ただし、そう予言されたからこそ、何が何でも回避しようという力学が働いたのかもしれなくて、よく分からない。

とか思っていたら地震が起きてびびった。これは震度4くらい??
震源地は茨城県北部で震源の深さは10キロ、M6.3と推定されるらしい。震源に最も近い茨城・東海村の東海第二発電所も今のところ異常はないと、ニュースが伝えている。福島第一・第二の各原子力発電所も同様とのこと。


昨年の今頃に書いたものを読むと相当に迷走しているのがわかる。

今年を振り返ってネット的に一番思うのは、PCがどんどん生活家電になってしまい、買い物はもちろん、粗大ゴミの申し込みやNHKの開通通知、一番安い価格調べ、一番損しない洗濯機や掃除機の選び方などなど、いちいちとPCを開く雑用が増えた。

暮らし全般に関わってきた、ということだけど、暮らしそのものはネットの中にあるわけじゃない。おかずを作ったり、洗濯物をたたんでしまったりとかは、ネットがやってくれるわけじゃない。ネットにはそれらを便利に行うための情報があるだけだ。

そんなで、情報を摂取することと、実際にやることのバランスが崩れると悲惨なことになる。これから洗濯する服と、たたんでしまうはずの服がゴチャゴチャになったり。身体にいい栄養素は頭に入ったが、作る時間がなくなって食べるのはカップ麺になったり。「ファスティングって何?」と調べだしてきりがなくなって疲れて、ホントに断食してたり。あちゃーー

相当に振りまわされている。つくづく気をつけたいと、思う。


そんなで、生活情報と物欲も大事とはいえ、あんまりにもPCから聖性がなくなって悲しいので、自ブログを書くとき専用のブラウザ1をDLした。探すといろいろあったし。chromeは実用専門とする。あとPC、スマホ、iPadの中じゃやっぱノートPC2が一番スキだな。

あとなんか書こうとしてたことあった気が・・・・
まあいいですね。おいおいPOSTしていきますね。

来年もまたよろしくお願いします。ニンニン( ・_・)ノ



日記・雑談 ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
click!


  1. Vivaldi 
  2. ASUSのZenBookで日本製じゃなくて悪いけど、ファンの音はしないし、画面はノングレアで品があるし、薄くて軽くてとても良い。もっとも音質はiPadに完全に負けてるので音楽には不向き。 

戦争と戦後を振り返る。

記事の分類:戦争系日記


Japan PM Shinzo Abe makes landmark visit to Pearl Harbor – BBC News(BBCで一面になってました~)

昨日から今日にかけて、首相の安倍晋三氏が真珠湾攻撃に関してなんかやってた。

真珠湾攻撃の追悼施設「アリゾナ記念館」で犠牲者に黙とうをささげたり、演説したりとかだ。演説一部:「寛容の心、和解の力を、世界は今、今こそ、必要としています。憎悪を消し去り、共通の価値の下、友情と、信頼を育てた日米は、今、今こそ、寛容の大切さと、和解の力を、世界に向かって訴え続けていく、任務を帯びています」via:演説全文

安倍氏、しばらく見ないうちにすっかり首相っぽく育っていたのには、ちょっと嬉しくなったのと、捨てるわけにはいかない警戒心の、ふたつの感情がうまれた。

そもそも奇襲なり戦争なりが起きた時、死んだりケガするのは彼ら世界のトップではなくて、こっちなのだ。「和解、いいですね、大いにやってください」としか言いようがない。

ところで、先日、珍しい場所に行ってきた。

しょうけい館 戦傷病者史料館

平成18年に厚労省が九段下に作った、太平洋戦争で負傷した方々の証言を集めた、資料館だ。
証言映像をミニシアターで流す他、関連書籍を多数集めた図書館空間、自身も戦傷者である水木しげるの漫画やイラストを展示した空間がある。さらに二階には、野戦病院を再現した部屋があり、人形が10体ほど、当時の状況が目の前に差し迫ってくるがごとくの形で置かれている。ボタンを押すと、解説音声が流れる。

兵士の人形はものすごくリアルに作ってあり、口渇に耐えきれず禁じられた生水を飲んでアメーバ赤痢に罹り、動くこともままならず寝台から尻だけ出して糞を下に垂れ流し続ける人形をちょっとさわったら、毛布かと思ったものはちゃんとした作り物で固かった。

解説音声は、脂汗を浮かべた兵士といくたびも目が合うので、目をそらしながら聞いた。

幸か不幸か匂いまでは再現されていないため平常心で眺めることはできた。いくら良く作られているとはいえ、やはり作り物であり、迫力はあるようでないのである。まあ子どもが見たら怖がるだろうし、大変な力作であることは間違いない。

↑こちらは一階の図書空間。戦傷はもちろん広く第二次世界大戦に関連した書籍が多数あり。『この世界の片隅に』も目立つように置いてあり、著者ご自身が寄贈なさったようで、中に「謹呈」の文字があった。『この世界の片隅に』わたしも観た。戦争と原爆を語ることや反戦は、ぜったいに陳腐化してはならない、と思ったし、事実、そうなっていない作品だ。広島のあの時に生きていた命が蘇ってそしてまた理不尽に死んでいったような、穏やかなやさしい絵柄なのに、伝えてきた。

↑水木しげる先生が描いたもの。こちらは反対に生々しい怖ろしい迫力がいっぱいだ。どんなに描いても描いても伝えている気がしなくて、もどかしかったろうなあとも。

戦争と、戦争について繰り返し伝えてきた戦後と、戦争の生き証人が皆亡くなろうとしている現代と、その不在を耐えなければならないこれからの時代と。

また、一から考えないとな~と、思った一日だった。


 


日記・雑談 ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

絶対テレビを買わないことにしてたのにMステに買わされた。ああ恐るべしMステ吸引力

記事の分類:日記

2014年の11月頃にケーブルテレビを解約して以来、テレビ番組と無縁に過ごしてきた我が家。その間、ネットや新聞や職場で仕入れた話題をお茶の間に各自が持ち寄って、お手製の情報空間を作ったりして、なかなか楽しく過ごせた。

同じテレビ画面を見ているのと違って、共通の話題ではないものを、説明して理解させるのは骨が折れる作業で、力を使う。

最近だと、ピコ太郎がいかなる存在か、いかに世界中で受けているか、いかに面白いかを説明するのに異様に時間をくった。なんせ、「世界中の人がマネしてて~」とか言っても誰も信じない。

みんな「ふーーん」と薄い反応だったため、「とにかくYouTubeでみてみて!!」とわめいて終わったのだった。

で、その後何回か、「見た?ピコ太郎」と聞いても「忘れてた」とか言われ、ガッカリだったのだが、そのうちイヤでも知ることになったのだろう。普通に話題にし始めた。

しかも最初に教えてやったのわたしなのに、最初から知ってたみたいにPPAPとか言っててなんかムカ~っとなった。もちろんそんな大人げないこと言わないけど。

で、この年末なんだけど、Mステスーパーライブがやっぱ観たいよね~ってことで、あと、ダンナッチはガキ使の笑うとお尻叩かれる奴が観たい観たいと五月蠅いから、しょうがない、とうとう地デジアンテナを立てた。

Mステとガキ使の威力、すごいなあ。

↑前者はもう観た(^0^)/


日記・雑談 ブログランキングへブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村