伯父さん、一足先に逝ってしまった・・・

投稿者: annaka 投稿日:

家族に看取られ、幸福な表情で旅立ったおじいいさんの絵

家族に看取られ、幸福な表情で旅立ったおじいさんの絵。さんくす:かわいいフリー素材集 いらすとやさん

継続的に、父のライフを書き綴っている当ブログ。父の成り行きについて書くので必死で、うっかりと大事なことを忘れていた(書くのを忘れたんじゃなくて、ほんとに忘れてた(@@;)。

それは、父には二つ年上の兄がいること。その兄は、東村山市という、割合うちの近くに住んでいること。二つ年上なくらいだから負けず劣らず「やばい」こと。などだ。

この兄のことは、今年の3月に二、先祖についてで「あれこれエピソード豊富に悪人」と一言でまとめてたりするが、実は、かなりれっきとした人物。子どもの頃から悪童ではあったが成績優秀だったため、一橋大学に入学、その後れっきとした職業についた。家は大変に貧しかったが、母親が一生懸命に働き大学に通わせた。それもこれも、大学を出て役人など立派な職に就いて、一家の生計を支えてもらいたいという希望があったから。

ところが伯父さん、学生結婚してしまって早々に自分の所帯をもってしまった。そのため、父たち一家を養うどころじゃなくなってしまったのである。以来、ずっと怒り続けていた父。とくに父は大のお母さん好きで、母親の長年の苦労に胸をいためていた。兄貴が大学を出れば母さんが楽なると思ってたらそんなだったので、よけいに恨んだのだろう。それに(おそらく)自分も大学に行きたかったのに、母親は二人までは大学に行かすことはできなかった。

それでまた、腹がたってしょうがないのである。けれど母親にしてみれば、子どもの頃から人一倍目立っていた三男の方に希望を託したのだろう。伯父さんについてのこんなエピソードが、父の自伝の中にある。

     相撲

三男の光明は五年生の時分から尋常小学校千五百名の頂点に立っていた。
図体のでかい悪ガキだから、むろん喧嘩の相手になる奴などいなかったが、不思議なことに勉強の成績も常にトップを保っていて、とりわけ五年生で算盤二級の検定に合格したことをやたらと吹聴していた。
その上相撲の選手代表ときた。世に怖いものなしとはこの時分の光明のことを言うらしい。(後略)

     閑話

この年の十一月、世界初といわれる海底トンネルが関門間に開通し、国をあげて盛大な祝賀行事が催された。八年がかり、延べ374万人もの労働力が投入されたという大事業であっただけに、この行事の中で光明は全校から選抜され、戦車にまたがって行進した。(中略)

悪童全盛の光明も、さすがに戦車の上ではコチコチの態であるさまが、万歳の合唱と旗の波にもまれながら身を乗り出した俺の目にも見てとれたが、いっぽうでやっぱり光明は凄い餓鬼大将だと感心してしまった。

この年とは、1942年(昭和17年)。うちの父10才時。
関門海峡の位置

関門海峡の位置

伯父さんの誇らしいエピソードとともに、華やかな時代感も感じられて、ここはわたしも読んでて好きなシーンだ。
もっとも、このシーンの他は、兄貴に死にかけるくらい乱暴な遊びや相撲をふっかけられたエピソードがやたらと並ぶため、憎悪混じりになってくる。

といった人物の伯父さん。

おそらく、生命のバロメーターとして相当に意識していたであろう兄。

亡くなったことを、父が電話で知らせてきた。

ある種の安堵のようなものを滲ませながら。そして「あいつの年までは生きられそうもない」と、いいながら。


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カテゴリー: 日記

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