子離れトライ日記

四月の初め、末次郎が家を出た。
家を出た、つまり独立だ。
めでたい。
ほんとーに目出度い。やつも齢(よわい)二十四のいい年した若者であるからして、親元を離れるのは理の当然であり、自然の摂理であり、世の習いであり神の啓示であり、ブッダの教えでありコーランに書いてあるかもしれないことであり憲法には定められていないかもしれないけど兎にも角にも、よいことなのだ。頃は、桜の花びらがヒュルリーラヒュルリーラと舞い踊る、いよいよ本格的な春がきたな、という好天に恵まれ日だった。

「あ、おれ、家出るから」
と末次郎が言い出したのが桜の咲き出した頃だった。「え?そんなに急に?」と驚き「え?どこにどこに?」と聞きだし、そこが、自分に縁の無い東京のとある有名な区だったため(というかだいたいの区が有名。)、「とうとう末ちゃんも都民になるんだねえ」とマヌケな反応をしていたのだった。

そっからが忙しかった。
せっかくの旅立ちであるから、用意できるものは用意してあげたい。冷蔵庫は?洗濯機は?電子レンジはお釜は布団はこたつは電子ケトルは箪笥はちゃぶ台は????
ン十年前の自分の一人暮らしを思い出し、次々に口を挟んだ。しかしトータルで相当高くなりそうだったため「洗濯機はコインランドリーでいいんじゃないか? あそこでギャルと知り合いになったりするんだよね、映画によくあるよ」とか「そうそう、うちに使ってない電子炊飯器あったわ、持ってきな」とか、「あの(使ってる)トースター持ってく?(うちは新しいの買うとして)」などという展開となった。

もっとも末次郎くん「コインランドリーはいやだ」とか「そんなボロいトースターはいやだ」と文句が多いため、自分で買ってもらうことにした。ただ初日からないと困る布団一式だけは、お祝いを兼ねてわたしが買ってあげることにした。何年も使っていた布団を持参するのは、ダニや埃まで連れてくみたいで利口じゃない。さいわい、最近の布団はみょうに安い。デフレだ。よくない現象だ。が今だけありがたいぞ。

ところがだんだんと、さみしさがこみ上げてきた。引っ越しの前夜に一緒に飲もうと準備していた金箔入りワインも、いざとなると、開ける気にならない。飲む口実を逃すことはまずない自分なのに、どうしても、気分がどんよりだ。

いわゆる、子離れできない、っていう状況なんだろうか?

引っ越しは、ダンナッチの運転する我が家の車ですませた。なんせろくに荷物がない。末次郎は、よほど心機一転したいのか、布団をはじめ、箪笥、カラーボックス、本、CD、ディスプレイ、お香、アロマ類、雑貨類、自分で描いた絵etc… を置いていった。

なまじ、色々置いていかれたものだから、余計に不在感が募る。
さみしいよ~さみしいよ~
引っ越しにはわたしも付き合ったんだけど、末次郎の新居から戻るときは、ほんと~にさみしかった。いや正直ぶっちゃけると末次郎が生まれた日のことが浮かんできて、同時に子宮がギリリと痛んだ。これくらいの別れでギリリじゃ秋田とか青森とかのお母さん、我が子が遠い東京に行っちゃうのって、どんだけツラいんだろうと思った。地方交付税くらいドンドンもらわないと冗談じゃない。太平洋戦争で我が子に赤紙が来た時の心境ってどんなだったんだろう。そのうえ死亡通知が届いた日にはギリリどころじゃなかったろう。もぎ取られて蹴り飛ばされるくらいの激痛だったんじゃないか。

そういうのがあったから「女は子宮で考える」という言い回しが存在し、七十年代後半?には差別表現ということで糾弾され、使われなくなったのかも。けどもまったくの事実無根な表現ではないのだ。

今調べて 「女性は子宮で考える」とは、どういう意味ですか?? – 「女… – Yahoo!知恵袋  の答え見たら、わたしが実感したこととは違う内容が書いてあった。わたしは、おそらくは、戦争というものの経験が、母親達がたどたどしい学のない言葉で戦争への反対を唱えたときに、子宮の叫びのようなものを発したのじゃないか。そう想像しないでいられなくなった。

引っ越し以降、末次郎からの音信はさっぱりない。
わたしはこの金箔入りワインをいつ飲めばいいんだ。

豪華金箔入りワイン
豪華金箔入りワイン

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