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Six Years Posts

車いすバスケを描いた『リアル』by井上雄彦を読んだ

記事の分類:レビュウ日記

この著者、『スラムダンク』や『バカボンド』で有名な漫画家とのことだけど、わたしはあんまり漫画読まないんで知らんかった。

今回これを読んだきっかけは同僚と夜中に話していて、「君は『君の名は。』見た?」と聞いたら「まだなんだよなーこれからかなー」みたいな話になり、その同僚(男。40代)は「アニメはサマーウォーズが傑作。あれを越えてるとは思えない」と言いだした。

自慢じゃないけどわたしの知ってるアニメ、『君の名は。』と『この世界の片隅に』と『聲の形』しかない(見たのは「この世界‥」だけ)。ぜんぶ最近小耳に挟んだやつだ。

同僚君はその後もサマーウォーズについて説明してくれたため、わたしも「じゃ今度見てみるね」とか言って、その場でhuluで見れるかどうか調べた。ところが、

「あれーhuluではサマーウォーズやってないワ。あーあ」

となってしまった。というかhuluの場合そういうパターンが多い。その代わりってわけじゃないんだけども、『リアル』を貸してくれることになった(ぜんぜんジャンル違うわけだが)。ところが『リアル』、まだ完結していない。しかも年に一回のペースでしか作者が続きを描かない、という。うーーーん微妙。けど、同僚君にとって貸せるものの中での一押しは、『リアル』なのだった。

★ ☆★ ★★ ☆★ ★

最初3巻まで貸してくれたんで読んだら、ここまで直球で号泣させるかってくらいの剛球責めにあった。特に来たのは3巻の最後、高橋の父親が高橋の見舞いから戻っている。ろくろの茶碗がぐにゃぐにゃになってるところだ。つい数頁前まで粘土を端正な形に作っていたのに、今はもう手につかないのだろう。父として強く打ちのめされ、独りで泣いているシーンが来たなんてもんじゃなかった。

4巻以降も、『リアル』の中で一番好きな人物が高橋のお父さんなので、「もっと出てこないかな」と待ち遠しく思いながら読みすすめた。高橋久信の父は、元はエリートサラリーマンだったものの陶芸をやるためにドロップアウトした。その時、まだ小学生だった久信に黙って家を出て行ってしまった。そのため久信はもやもやした悲しみとか喪失感を抱えることになり、シニシズムというか、人をランク付けでしか考えられないような、貧しい精神の持ち主になってしまった。

そんなだから見舞いに来た父が、粗末な身なりの汚い男だったため(服に泥はついているわ、無精ヒゲだわ、素足に草履だわ)久信は思い切り見下すことになる。そしてここからが本当につらい心理の動きなのだけど、動けなくなった自分はその底辺よりももっと下じゃないかっていう、地獄のような自己認識。ここらの心の動き、激しいペンタッチとともに容赦なくえぐり出していく。

久信のねじれて荒んだこの心、どうなってしまうんだ? と読むのが止まらなかった。

打開してくれたのは、久信と同じ病室になった、自身も脊損で歩けなくなってしまったプロレスラーのスコーピオン白鳥で、無理矢理に出場した試合でのむちゃくちゃな活躍だ。久信のこと、下手すると、みょうな優しいあり得ない女性が現れて、懐柔して解決になりがちなところ、男の力業を見せつけるところに感心した。感心というか感動。人間のランクがどうのとか、そういうのを超えていくのが男の生き様だぜ、って思った。

で、実は打開してくれた人物がもうひとり居て、こちらはフィギュアとプロレスが大好きなオタク男の花咲 満。ここらへん、絶妙なバランス感覚つうか。スコーピオン白鳥だけだと剛力(ごうりき)の世界に行きすぎるところ、キモオタでへにゃへにゃ男の花咲との組み合わせも受け入れている久信が、心があったまるんだよねえ。

(ちなみに、同僚君はモロ花咲 満タイプ。「もうちょっとしっかりしなよー」とハラハラさせるタイプ。花咲よりはコザッパリしてるけど)

久信の父親にもっと登場してほしいけど、そんなでもう出番はないかな。長くテーマの一角を占めた高橋ファミリーの確執は、お母さんの突然の金髪化とピクニックをもって一段落ついた。(そうよ、お母さん、もっとはちゃめちゃになっていいのよ!!)

主役の少年について語る余力がなくなってしまったが、もちろん、彼の物語もすごいのである。

特に心に焼き付いたのは、「足がない、足が動かないというだけで、向こう側に行ってしまう」というつぶやきだ。あちらの世界と、こちらの世界で、別世界になってしまう。

障害者の世界と、非障害者の世界で、くっきりと別れて

今、単行本は14巻で止まっている。
描くのがほんとうに大変そうな漫画なので無理もないと思う。それはまるでスコーピオン白鳥が立てもしないのに試合に挑むみたいなもので。
筋ジスの山内 仁史も気になる。
筋ジストロフィーという難病について、普段考えることはないけど、この漫画によって正面からみつめることになった。世界のど真ん中にボンと居るって感じ。「20で死ぬ」と自分で言ってたのがもう20になってしまった。これから、どうなるのか?

そうそう、朋ちゃん(こわい顔の男。準主役級)もどうなるのか!!

リアル(ほんとの、現実の)の車椅子バスケットボールへのリンク集。

車椅子バスケのルールが2分ほどで説明されている。

JWBF | 一般社団法人 日本車椅子バスケットボール連盟

PLAYER | JWBF Natinal team全日本の選手たち

Paralympic Results & Historical Recordsリオ パラリンピックの結果(優勝はアメリカ)

Wheelchair Basketball at the Rio 2016 Paralympic Gamesで検索するとリオでのことが出てくる。

こうやってみると足に障害を負った人って随分大勢いるんだなと、今さらながらの感想をもった。
あと、パラリンピックにばかりこだわると、ランク付けしてばかりの発想と同じになってしまうなと思った。かといって、勝敗へのこだわりがなくなったらつまらないし‥‥ 難しい。

あと、パラリンピックの方がオリンピックよりも国境を超えていると思った。

それはあたかもピコ太郎が国境や言語を超えたツナガリを生み出せたことに似ている。

単なる強者はほんとうのツナガリを生み出せない。っていうか。

まとまりがないけども、いつかどこかへ続く。


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返礼品競争から降りた所沢市、グッジョブ!!

記事の分類:社会系
イラスト屋さんから借りたイラスト、ふるさと納税されて逆に赤字になっているイラスト。
ふるさと納税されて汗汗している自治体。下の記事を読むと分かるが、所沢市が収支の計算をしたところ本当に赤字だったそう

「返礼品競争から降りる」 所沢市がふるさと納税で方針(ハフィントンポスト)

ふるさと納税がいつの間にか、豪華な返礼品競争になっていた。

もともと日本人は、結婚祝いや出産祝いに対して返礼品を贈り、香典をもらえば香典返し、近所の人からお裾分けされればこっちも買ってでもお返しする、といった贈答返礼行動をとっている。

それどころか、重病で入院中の見舞品に対してすら、何らかの返礼をせんと心を砕き心労を背負うことになる。

わたしの義母がそうだった。彼女は膵臓ガンで亡くなったのであるが、最期に近くなっていったんは自宅へ戻った。その時、同居の嫁(わたしの義弟の妻)に、

「(もらった見舞い品に対し)ぜったいに貰いっぱなしにしないでっ(だからすぐに返礼を贈って)」

と、すごい剣幕で言い放っていた。

それはあたかも、いかなる負い目も負債も弱みも絶対に背負ってなるものかっと決意しているみたいだった。

しかし、そばでやりとりを見ていたわたしは思った。

それじゃあ、お義母さんの容態を気遣ってお見舞いを贈った人の気持ちはどうなるの? と。

そんなん贈り返されたら、「かえって気を遣わせてしまった」と、贈ったことを後悔するだろう。そして相手を心配する自分の気持ちが必ずしも伝わらなかったことを、悲しむだろう。

昔の武家社会の上流階級とか、今でもお金持ちクラスの物のやりとりならいろいろな腹づもりがあるかもしれない。けれど、今死に神がお迎えに来ているというのに、そういう交際術は無益としか思えない。

物を贈る、贈られることがどれほどややこしい心理状態をもたらすかというのは、もっと研究されていい。たとえば→→お歳暮・お中元のお返しについて – お歳暮やお中元は専ら贈る側… – Yahoo!知恵袋 ←理屈と感情が混乱しているのがわかる。ベストアンサーも共感できる。

わたし自身も、贈ったor貰った、という経験で本当に喜ばれたor本当に嬉しかった、という後味は、全体の1/4程度しかない。あとは、むしろ後悔したり、厭な思いをすることばかりなのだ。

これが人の世を生きるってことだよね‥‥と思ったりもするが、1/4の的中率は低すぎないか? と相当自己嫌悪。いやさ実際、こういうことでの自己嫌悪は、自分で自分の横面叩きたいくらいイヤなものなのだ。

それがゆえに、ここらのエラー&リスクを回避せんと、贈答があれば返礼することが義務に近いほど常識化する、という一方向への圧が増しているのかもしれない。

が、だからといって、「この場合はこういう対応するのが常識なんだよね」とばかり、ややマニュアルがかった対応をすると、途端に相手にイヤな顔をされる。つまり『マナーとして常識』になっているくせに、心がこもっていないとやっぱ駄目という、地縛霊か金縛りかってくらいの恐ろしさ。

書籍紹介

そんなことばっかやってるから日本人は幸福になれないし、楽しくないし、皆がコミュニティへの苦手意識をもつんだよな。

と当方、長年思っていて、以前『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある』(honto)(Amazon)という本を読んだことがある。

日本で一番自殺率の低い町、徳島県の海部町(現・海陽町)に、なぜ低いのか取材に行って考察した本だ。

本は、海部町の人々の贈答行動には触れていなかったため突っ込み不足に感じたが、生きやすい町の特徴=「異質への寛容。(自分と違う考え方を排除しようとしない)」、「人物本位の他者評価。(肩書や容姿で判断しようとしない)」etc…という考察結果を見れば、当方の勘もあながち間違ってないと思う。

 

切に願うのは、ただでさえ金縛りの日本人に、ふるさと納税を受ける自治体が変な見本を見せないでほしい、ということ。

 

中には「返礼するの当たり前」と考える人も多いと思う。が、そう言う人にはこう答えてほしい。

「寄付と返礼では、閉じた両者の関係。
そうではなくて、あなたのふるさと納税額が町の人々の役にたっている。そのことをもって歓びとしてください。
<だいたい確定申告の時に控除対象になるのに、さらに返礼品を受け取るって二重取りもいいところじゃないか>」

<>内はオフレコで。

参照先リンク

岡檀の名言 | 地球の名言←海部町は実は「幸福度ランキング」も低いのがミソ。「幸福でも不幸でもない」のである。
#335 固定化された夢よりも今このときの心地よさを感じてみる – 岡 檀さん(和歌山県立医科大学講師) | mammo.tv
所沢市ホームページふるさと納税の返礼品、所沢市が廃止へ 市長「競争から離脱」(さいたま新聞)
京都・長岡京応援寄附金(ふるさと納税) | 長岡京市公式ホームページ←所沢市より先に返礼品を送らないと宣言していた唯一?の自治体。すごいです88888



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NHKが最近報じた格差の上と下

記事の分類:社会系

格差の下の方↓ 12日放映の「見えない貧困」。当方もみた。

この前の女子高校生の貧困報道では失敗しているため、今回は「相対的貧困」と「剥奪指標」という二つの論理性をバックアップするデータを駆使して、全体の説得力をあげていた。

なにせ、[【佐藤優】エリートには貧困が見えない ~貧困対策は教育~ というのがあるくらいに、富裕層に貧困は想像も出来ない世界。NHKの視聴者が必ずしも富裕層ではないとしても、貧困感覚にうとい人は多いだろうから。

視聴者の反応→見えない貧困 – Twitterによる反響

格差の上の方 もしくは上を目指すべく頑張っている方↓

わたしは見てないが、「稼げる大人」になる!? 過熱する受験競争 – NHK クローズアップ現代+ というのを放映したそうだ。

「体験が人生とか学力に影響するのは、ショックなんです。
年収1,000万円の家庭のお子さんは、放課後、塾に行ってお稽古に行って、夏は海に行き、冬はスキーに行ける。
年収300万円を切った家庭のお子さんは、お父さんお母さん、頑張っていらっしゃるけれども、なかなか、お稽古も塾も行けない。
家でテレビと漫画とテレビゲームを見て、言葉で言うと“貧困な体験”しかできない。」

体験の格差については、データえっせい: 小学生の体験格差(2016年10月17日)も見たことがある。プアとリッチでは如実な差があった。

☆ ★ ★

追記就職氷河期とコレカラに、よくわからないながらも、ピケティとか追加してみました~r>g とかw

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わずか15人しかいない「社会変革」ブログカテゴリーだっ!!レアレア

アイズ・ワイド・シャット / media:hulu

記事の分類:レビュウ

1999年のキューブリック監督映画をhuluでみた。hulu、それとノートパソコンで映画を観るという行為に慣れない。こんなお手軽な映画の観方があっていいのかと落ち着かないのだ。テレビで放映するのを待つよりも、レンタルビデオを借りてくるよりも、DVDを買ってくるよりも。いわんや映画館へ我が身を運ぶ手間と比べたら!!

ファスト。ファストフードならぬファスト映画鑑賞。

わたしはなんでもかんでもファストであることが嫌いだ。映画館でないと映画みないぞー!!

と思いつつ観てしまった。まあいいよね、ずっと昔、1999年の映画なんだし。

アイズ・ワイド・シャットはキューブリックが試写後5日目に急死した作品で、リアルでも実際の夫婦であるトム・クルーズとニコール・キッドマンが夫婦の愛と性と嫉妬ともろもろを演じた作品。という予備知識からして疲れそうな映画で(当方、実は心底の映画ファンというわけではないんだと思う。疲れそうだとひるむ)、キューブリックファンなのに長年見逃していた。

ところが観てみたら、あんまりにもマトモな映画で拍子抜けしたほど。特に、トム・クルーズが嫉妬と欲望(と、思われる。男でないのでよくわからない)に懊悩する表情と、そのさまを追うノロノロした重たい時間経過が新鮮に感じた。わたしの美意識では「ハンサム」ではないトムだけど、あちらでは典型的なハンサムガイなんだろう。誰も彼もがトムに魅了される。そしてわたしも、苦悩しつづけるトムがだんだん愛しくなってしまった。

上の写真はその懊悩も終盤に入ったあたり。ふわっと自分も一緒に入りたくなるような夜のカフェ。持っている新聞に重大なニュースをみつけることになる場面。その中で、奥の方にさまざまな人種の男女が談話しているのが見える。金髪の女性など、身を乗り出して話に熱中している。これ、患者サンたちがやってるSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)での、「人の話を聞く時は身を乗り出すように」という合い言葉を思い出してしまった。

カフェではひとりでコーヒーを飲むのもよし。いろいろな人たちと会話を楽しむのもよし。そこにはドロドロとした欲望なんかないし、不気味な秘密結社じゃないから裸にもならなくていい。不気味な世界と扉一枚隔てただけの危うさが日常にはあるんだとも解釈できるけど、その扉があるのとないのじゃ大違いだ。

その後危機を脱していくトムとニコール夫婦は、クリスマスの買い物に出る。ぬいぐるみやおもちゃが山積みの玩具店の通路を歩く。ここではトムがすっかりと男としての自信も威厳もなくして弱々しくなっているのが、もとからそういう人に見えてしまうくらいだった。対する妻の明晰さと強さはどうだろう? すがすがしく気持ちいい。快感。こんなに気持ちいいラストシーンってめったにないんじゃないか?

しかし困ったのは、その余韻がさめやらぬまま検索すると(なにせノートPCで観ているため何気なく検索できてしまう)、余計な情報が出てきて興ざめだった。曰く、トムとニコールの夫婦は映画完成後ほどなくして離婚しているのであるが、トムが一方的に離婚を突きつけた。ニコールはそのトラウマから立ち直るのに苦労したという。

そういえばこの映画でも最後に良いセリフを言っているのは妻の方であって、夫ではない。夫もマトモなことを言っていれば良さそうなものを、映画中では発することはなかった。彼も何か言っていれば、実際の夫婦の危機も多少減ったのではないかと夢想してしまった。

さらに、つい最近のニュースも目に入り、ニコールはトムとの結婚生活の暴露本を1100万ドルで契約した、という。まったくもってこんなに映画の余韻をふんづけまくる話もない。いくら1999年から18年間の間に観てなかった自分が遅すぎるとはいえ。

これだけの後日談が延々とあっても、それでも『アイズ・ワイド・シャット』の輝きは失せていない、と思いたい。
ファストファストの2017年の世の中では、ノロノロしてて寝そうになる映画だけど、だからこそ目が覚める思いがしたのだ。苦悩には時間がかかるということ。ファストな苦悩なんかないこと。ノロノロノロノロと無駄(に見える)時間が流れること。

この後、まだまだ、トムとニコールのゴシップが耳に入ってくるだろうけど、ふたりが元気な証拠ってことだと思う。

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空想を現実に。

記事の分類:日記

昨今は、
仕事上の意味不明の用語から、
香典の相場から、
おにぎりの具のバリエーションから、
放送禁止用語から、
結婚式の祝辞から、

なんでもかんでも google で検索して
失敗がないようにするけれど、
たまには何も調べないでやってみようと思い立った。

思えばわたしは、朝から晩まで
じっーと動かず空想してる子供だった。
空想の中で願いを叶えちゃえばそれが一番簡単だからだ。

ところが最近全く空想していない。
全く何もしていない。
これじゃ脳が腐る。
例えばホットドッグロールの具。
ホットドッグ 作り方 で検索すれば
山のようにレシピが出てくる。
そんなもん捨てちゃえ。

自分の頭に湧いてきたやつ作れ。

ってことでしばらくじーーーっと空想した。

一番自分の味覚が求めてるやつだ。それはなんだ?
健康に良くて痩せるやつで心が明るくなり、年齢がマイナス5歳になり、なおかつ安上がりで手間もかからん。

いやいや、そんな理屈はいい。心を自由にして思い描くんだ!

ってことで作ったのが、オリーブ&大豆押し込んじゃおドッグだ!!

‥‥‥まあまあ美味しかった。
味が薄いのは
そのほうが血圧にいいからで、仕方ない。
さほど傑作ってわけにはいかなかったが、だいたいいいと思う。

(コンビーフも空想したのでそのバージョンもあり。)

「ニュース女子」という番組について

記事の分類:政治系民主主義社会系

「ニュース女子」つう番組が、TOKYO MXにある。
先々月から2年ぶりにテレビを見始めたばかりのため、まったく知らん番組であったが、「ニュース女子」「ニュース女子」と、この単語が踊っているのを、最近見かけるようになった。

「ニュース女子」ってタイトルからしていい予感はしてこないが、ともかくYouTubeで確認したら、それはそれは目もあてられない惨状といっていい絵ヅラだった。左にむさいおっさんどもが6人横並び。右には4人くらいの若い女達。

この女達をもって女子ってことにしてるらしい。まったく図々しい。どこが女子だよ。女子ってのは高校までの学校用語なんだ。なんでもかんでも女子って言って誤魔化す風潮やめなよ。確かに「女子をこじらせて」という、あのタイトルが秀逸だったのは認める。タイトルだけで自意識との格闘が伝わってきつつも著者が才気煥発なのをよーく分からせてくれたし、「このコトを言い現したい」と女性なら願ってやまなかったものを(けど誰もできなかった)見事に表現しているに違いないと、思わせた。

だからもう、あれはあれで女子はやめた方がいい。

この番組だって、むさいおじさんたちに女性達がニュースを教わっている構成だが冗談じゃない。教えを乞うのはお前らおっさんどもの方だろう。ナニを知っているんってんだよ、あんたたちおっさんどもが。そう言ってやればいいのに。自民党一党支配の世の中じゃ、そうやってニコニコ笑って商品価値高げな女でいる以外にないのかもしれない。田舎にいたら自民党的価値観だと「子だくさんの母親になる。できれば四世帯同居」くらいの女にならないと駄目出しもんだ。そういうのは絶対に厭だから、テレビに出てるンだろうし。

せめて少しはキラリとしたことを言ってほしい。それが本当の商品価値だよ、商品価値っていうのならさ。

☆ ★。.. ‘★…☆ ☆ ★。.. ‘★…☆

本当は「ニュース女子」のいやらしい偏向内容について書こうとしてたのに、女子の方へ。

この番組、要するにマスメディアのくせに2ちゃんねる化してる、今さら。むさいおっさん達、2ちゃん板の常連なんだと思う。

参照:『ニュース女子』#91 – YouTube

参照2:ニュース女子問題、東京新聞が「深く反省」 長谷川幸洋・論説副主幹が司会


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