青天の霹靂を映画館で観た


薄汚れたマジックバーで日々働く39歳の売れないマジシャン轟晴夫(大泉洋)は、幼い頃、母に捨てられ、父とは10年以上絶縁状態が続いていた。そんなある日、晴夫のもとに警察から電話が入り、父の死を知らされる。遺骨を抱え、ホームレス生活だった父の住み家のダンボールハウスに来た晴夫は自らの未来を重ね、「なんで俺、生まれてきたんだろう」と絶望に暮れるのだった……。そこに青天の霹靂――青空に一閃の雷が光り、晴夫を直撃する。気付けば晴夫は、40年前の浅草にタイムスリップしていた。浅草ホールを訪ねた晴夫は、スプーン曲げを披露して一躍人気マジシャンとなっていく。そんな中、同じくマジシャンをやっていた若き日の父・正太郎(劇団ひとり)と、彼のアシスタントである母・花村悦子(柴咲コウ)と出会った晴夫は、ひょんなことから正太郎とコンビを組むことになる。やがて、悦子の妊娠が発覚、晴夫の出生の秘密が次第に明らかになっていく……。
#引用元Movie Walker > 青天の霹靂

感想の類はネタバレしちゃいけないとビクビクするけれど、こうやってオフィシャルがバラしまくっているのだから、もう、全部言っちゃうよ!!と開き直りたくなる。

とまれそれは出来るだけ避けたい。でも保証はできないので、この先は観てから読んでください!!

本題。
冒頭は、泥酔した客相手にカードマジックしながら述懐にひたるマジシャン晴夫。述懐はカードにからめ、決してエースやキングではない自分を自嘲してみせる。

店がひけて客のゲロの後始末をする若い店員との会話では、俺なんかしょうないんだよ、生きてる意味なんかないんだよ、と物悲しくも憐れな生い立ちを匂わす。場面は代わって汚い自室。映画画面に映し出すには本当にリアルに汚い部屋で、ゴミいっぱいのレジ袋にうずもれながら、レトルトカレーを飯にかける晴夫。でも飯は見ていない。見てるのは テレビだ。

テレビには若手のトランスジェンダーもどきマジシャンが映っている。晴夫は不味そうにレトルトカレーを口に運びながらさらに不味そうな顔になって、吐き捨てるように「くだらない」という。くだらないと吐き捨てた理由はまた後で明かされる。

昼になり、あるところから電話がかかってきて、鉄橋下の広い川岸に向うことになる晴夫。

川岸の草原は美しかった。そこに建てられたホームレス小屋も。
いつまでもこのままこの男の人生を、いやさ、人生なんて大げさなもんじゃなくていい、この男の日常をもっと見ていたい。レトルトカレー以外に何を食べるのか、風呂はどうしているのか、部屋には他にどんなグッズが置いてあるのか、そのなかで何をまた述懐し、何を自己憐憫し、何が何も起きないかをずっと見ていたい。

という気持ちにひたっていた矢先、悪い予感はしてたけれども、バーーン!! と、

青天の霹靂が、晴夫をおそう。

なんで青天の霹靂なんか起きるんだよー起きないでいいよーと、ガッカリした。

陳腐なSF展開になるのは、予備知識はなくても予測が付いた。
タイムスリップしたのだ。
川岸の草むらで目を覚ました晴夫は、そこが70年代の日本であることを、そばに落ちていた新聞で知る。タイムトラベルしたときにだけ新聞というやつはべらぼうに役に立つのだ。

しょうがないので気を取り直し、続きを見ることにした。

結論を言えば面白かったので、人にも薦めている。
ただ、細かいことを言えば、大泉洋の顔演技にあまりに多くの事を依存しすぎじゃないのかなあ。そのコにとって母がどんな存在なのかを説明する熱演部分は、時間が長いし、ぜんぶ顔。ここで感動させたいのはわかるけど、やりすぎてわたしはダレた。あと歴史上の同日同時刻に同一人物が存在しちゃいけないのが、(サイエンス)フィクション 界最大の不文律なの、監督は知らないのかなあ。気になって気になって「あんたがいると赤ちゃん、死んじゃうか生まれて来れないよ‼︎」と無駄にハラハラしちゃった。

あとこのラストだと、本当に母が出て行ったケースの場合ほんきで救われない。実際の人生の場合はこれでもいいけど、作品としては引っ掛かりが大きい。素直に感動しづらい。そんなで最後のセリフもわたしはちょっとピンとこなかった。このテーマならば、両親のなりゆきよりももっとスパンを大きくとって「先祖」に着目した方が柔軟に展開できたような気が、しなくもない。