【長谷川健一著『原発に「ふるさと」を奪われて』英訳&電子書籍化企画について】

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【長谷川健一著『原発に「ふるさと」を奪われて』英訳&電子書籍化企画について】

宝島社のこの本を英訳・電子書籍化するための寄付金を募っています。

宝島社のこの本ではないですが、オフィスエムの小冊子で『奪われた故郷』、わたしも読みました。(感想

原発立地地区は他に産業もなく貧しいから原発を受け入れざる得ないという説がありますが、長谷川氏が酪農を営んでいた飯舘村はそんなのとは無縁、「までいな」村作りでとてもうまくいっていました。

というか、それ以前に飯舘村は原発から30キロ離れているので原発の恩恵は何も受けておらず、ということは原発の説明なども受けておらず。それが「たんこぶ」状に飛散した放射性物質のせいで牛たちを失い、家族も被爆させと大変な思いをしました。

しかし、長谷川氏は、日本人にありがちな「黙々と耐える」ことを選ばす、自分らの経験を日本中かけまわって講演したり、本を出版しています。

その世界版となる翻訳ですから、応援したいですね。

「決死救命、団結!」—希望の牧場・吉沢正巳の訴え(前編)

「決死救命、団結!」—希望の牧場・吉沢正巳の訴え(前編)

てっきり吉沢氏は警察から迷惑がられる存在かと思っていたが、警察の人も心をもった人間だった。警官の本心までさらけ出させる吉沢氏の人間ドラマ、迫力ある。

何より、
牛がかわいいなあ。

食すことについて。
ほんと難しいんだけど。
牛はしょせん殺して食べるのだから、と考えがちで、そのためのわかりづらさがある。けど、人が食べるのは、牛の命をもらって自分が生きるということなので、見捨てて餓死させることとは、根本的に違う。

命命と言っても、命にわたしの言葉が追いつかないのだけど、今はそんな風に、考えている。

パッとしない日記、原発編

川内原子力発電所(鹿児島県)の場所・距離

 
 川内原発の再稼働を、鹿児島県の伊藤祐一郎知事と県議会が7日、決めたそうだ。

 なんともいえずパッとしない、お便所の切れかかった電球のようなうす暗い気分になった。それにこの無力感は何だろう? 全員てわけじゃもちろんないが民意的には反対の意思をあんだけデモ等で示してきたのに、ガン無視された…。頭のおかしい左翼扱いされるのもいとわずデモったというのに。そればかりか、地方の貧しさがあるから原発はやめられないのだから馬鹿な(形の)反対するなと、別に地方の貧しさに興味のなさげな人に苦情言われた。あと、なんだ? 要はバカが大きな声を出すのが不快であるという、秩序の番人みたいなインテリ(というのか学者というのか識者だか何か)に、「そんな形の反対じゃだめ」「ぼくみたいに考えて」的なわけわかんないこと言われた。

 一般人って専門家じゃないんだから専門家から見たらバカなのしょうがないよね。普段はほかの仕事しているんだから。専門家(というのか知識人というのかry)が胃穿孔おこして緊急オペになったら夜中でもなんでも仕事させられたり、専門家(というのかry)がたくさん専門書の御本読めるように印刷したり運送したり。一般人に専門家なみの知識や見識求める方がおかしい。しかも専門家(ry)の学歴みたら国立大卒で国民の税金が投入された大学出てたりするから余計釈然としなかった。少しは国民全体に貢献するように思考したらどうなんだろう。

 なんかもうムシャクシャするから原発なんかどうでもいいやって気分になった。

 とはいえ人に左右され過ぎるのはよくない。原発は原発。第一、原発はもともと彼らの手に負えるようなもんじゃない。「核なき世界」?だったか、本で読んだけど、核実験のやりすぎで世界中プルトニウムがてんこ盛りに余ってて、使え使えという圧力がすごいらしい。あの本は絶望的すぎて感想が浮かばず、著者の人物評でお茶を濁したほどだ。とにかくウンザリする弩暗い話なんだ。

 でも福島も当初怯えたほどには人的被害はなかったのだし(フクイチ作業員は本当に大変だと思うが)、これからも気を付けていけば、大丈夫そうだ。気になっていた福島産の農産物についても、検査もしているし大丈夫じゃないか。もち、わたしも今では福島の日本酒とか、福島の焼酎とか、福島のワインとか、福島のビー……wを堪能している。
 

 川内原発再稼働同意:「命の問題発生せず」鹿児島知事

 川内原発は福島第一に比べると規模も小さいし、プルサーマルも使ってない。東京に電力を送っていた福島原発は桁違いに巨大だったってことか。

 同じ原発でも鹿児島のは素朴に感じる。命の問題も発生しづらいかもしれない。でも、福島だって動物は悲惨だったよ。放射線被害で死んだのではなく、捨て置かれて餓死したのだけど。その代わり希望の牧場の牛は元気そうだ。


※脚注:福島の日本酒は好きですが焼酎、ワイン、ビールは飲んだことないです。

何かあった時、川内原発にも吉田所長みたいな人がいるといいけど

何にしろシニカルにはなりたくない

【証言】奪われた故郷—あの日[3.11]、飯舘村に何が起こったのか

『【証言】奪われた故郷』を読んだ。

左:入植10年目に牛を手放すことに追い込まれた酪農家の田中さん(撮影:森住卓)/右:家族同様の牛を屠場に送り出す長谷川家

 

……つらい。ほんきでつらい冊子。
とくに写真のp.34からp.35のあたりはもう涙出過ぎてくたびれた。
読んでるだけでそうなのだから、「こんなことなんで起きたんだ? 世の中にこんなことってあるのか」と思いながら、家族同然の牛を屠場に送り出した著者たちのつらさは、わたしの100倍、1000倍、1万倍…

それでも、このつらさを味わうことで得たものもあった。

自分が食べているものが生きものの命であると、真剣に思い至ったこと。

不肖annaka、自分史上もっとも意義のある気づきだと、いばる。

いばるようなこっちゃないけど、それくらいでもしないと、気持ちが落ちてくばっかだ。

福島第一原発、20キロ圏内の世界

Farm Sanctuary 希望の牧場~ふくしま~ Official BLOG: 風化しないように、発災年の動画を再UP

↑上は震災間もない頃の映像だ。

原発20キロ圏内は警戒区域となり、人々はすぐさま立ち去らなくてはならなくなった。家畜はじめ動物たちは置いて行かれ、家畜は餓死し、犬や猫はとつじょいなくなった飼い主を探し、食べ物を探し求め悲惨なありさまになってしまった。YouTubeにもいくつかあがっている。中には動物をたすけるために区域内に入って活動する人々もいて、救われる。

上記リンクは20キロ圏。
飯舘村はゆうに30キロ離れているので圏外のはずだが、放射性物質は同心円には降り注がず、長谷川氏の言う「たんこぶ」状に飛散しており、計画的避難区域に設定されてしまった。
人だけ避難し、牛は置いていけとなったのだ。つまり、20キロ圏内と同じ運命を牛たちはたどりかねなかった。

長谷川氏らはそうさせないために、役所、国相手にかけずりまわり、牛の犠牲を最小限にとどめた。
その結果が屠場に行くという事で、それが食用になる(無駄死にではなく)ことなのか、そうではないのか、実のところわたしにはよく分からない。それでも、20キロ圏のような地獄でのたうちまわらすような残酷な仕打ちを牛たちにしないですんだ。そのかわり、飯舘村から牛はいなくなり、酪農家なのに牛を失った。

Youtubeで比較的最近の長谷川氏を見たら、長谷川氏が今一番言いたいのは、あの時何が起きたのか(事故もそうだが、その後の対応。SPEEDiを隠したことや高い線量が出ても「安全」「安心」と大学教授らが説得に来て、その直後に計画的避難区域に設定されたこと。その間被爆し続けたこと、など)、それを検証してほしい、忘れないでほしい。

☆ ☆ ☆ ☆

この冊子からやや離れるが、リンク先「希望の牧場」の場合は、フクイチから14キロの位置であり、ほおっておけば動画、画像の通り、家畜たちは放置され餓死するところだった。あるいは「殺処分」になるところだった。その命を殺処分はさせず、意義あるかたちで守ろうと、奮闘しているのが希望の牧場だ。

吉沢牧場長の想いと意地。 Documentary 光影寫眞

これは牛の問題ではなく、牛の命を通した人間の問題と、牧場長は言う。

希望の牧場の牛は、生きるという事について、命について、食べるという事について人々が(特に子どもたちが)考えるうえで、最強の教材になる。

大人だってろくに考えたこともなく漫然と食べているのだから、ほとんどアホみたいなものなのだ。

食や命について考えれば、内側から綺麗になる※し、聡明な子どもに育つだろう。お受験だ偏差値だばかり言っていたら、昭和と同じような人間が再生産されるだけだ。

そっち方面(真の教育方向)でも、牛さんたち、生きれたらいいなー♪♪


読んだダイエット本の影響で、唐突に言い出してて分かりづらいですね・・・・