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タグ: 日本映画

野火をみた

記事の分類:レビュウ

先々月『私の少女』を観に行った渋谷ユーロスペースで見る気でいたけど、立川市の映画館でもやっていたので、そちらへ行ってみた。

とはいっても、圧倒的にユーロスペースの方がこの映画の上映に力を入れていて、一日に5回もやるうえに8月4日まで確実にやっている。

立川の方は、一日一回12:55からのだけで、しかも30日には終わってしまう。

それでも、チケット売り場に行ったらすでに満員近いので席がココとココしかないと言われ、えらい前の方の席になってしまった。ただでさえ見るのに緊張する内容なのに、眼前であんなのが繰り広げられるなんて・・・・とたじろいだ。

(あんなのというのは、ずっと以前に『野火』は読んだことがあるので、あらかじめイメージはわいていた)

簡単にストーリーを言うと

第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。日本軍の敗戦が色濃くなった中、田村一等兵(塚本晋也)は結核を患い、部隊を追い出されて野戦病院行きを余儀なくされる。だが負傷兵だらけで食料も困窮、少ない食料しか持ち合わせていない田村は早々に追い出され、再び戻った部隊からも入隊を拒否される。行き場を失い、果てしない原野を一人彷徨う田村。空腹と孤独、そして容赦なく照りつける太陽の熱さと戦いながら彼が目撃したものは、想像を絶する地獄絵図であった……。

movie walkerの野火より

この映画はそのものズバリ、変な芸術表現やヒネりはなく直球一直線でコテコテの地獄絵図を描いていた。そのものズバリすぎて、その素直さに驚いたくらいに。大岡昇平の小説は内容は過酷でも高度に知的で品格があって、その分ズーンと心身に堪えた記憶がある。ことに忘れられないのは、「猿の肉の干物」を食べるシーンで、これは『野火』を読んだ多くの人がそうじゃないかと思う。

飢えに飢えていた身体に猿肉の脂が染み通るシーンだ。飢えることの怖ろしさが、飽食の身にも実感されたシーンだった。

映画だと、観客は視覚を使って見るという行為なので、内分泌系のことまでは見えない以上関知できない。そのため、単に空腹のところへ食べ物が入った、とのみ認識しそう。

が、人体は奥が深い。そんなものじゃない。「見てる人、分かってるかな~」とエラそうながらちょっと心配になったが、そんな余裕はこいてられなかった。ウジのわいたまだ生きてる死体とか、ゾロゾロすごいことになっていくし、現地女性に叫ばれたりと大変だったからだ。

猿の肉が実は人肉なんじゃないかという疑惑がわいてくるのが原作だった(たしか)で、そうだとしても敵の肉ならいいじゃないか、あるいは現地の人間の肉ならいいじゃないか、という飢餓ゆえの「倫理的妥協」がじょじょに、どんどん崩壊していってもう仲間でもいいや、同じ日本人同士でも関係ない、となっていき、お互いの顔を見て「美味しそう」と思えてくる。

という展開かなあと予測したが、さほど、そんな人間心理ドラマめいたことには踏み込んでいなかった。

そうなると一番感じた残りのことは、状況ってことだった。

いったい、誰のせいでこんな目に合っているんだよ? と、見てて思った。

おりしも、わたしの手には『日本のいちばん長い日』のチラシがあった。
8月8日公開の映画のため、予告編でも流れた。
日本軍の上層部と天皇が、終戦の決断をどうするかとゴチャゴチャやってる映画みたいだった。
それどころじゃないだろうって。
何が「いちばん長い日」だって。
ぐずぐずいつまでも戦争を終わらせないから、こんなひどいことになっちゃって。
これがまだ、敵が日本本土に上陸して、そこでの戦いをしている状況ならわかるが、なんだってフィリピンの島まで行ってこんな目にあってるんだ。現地の人間にすさまじい恐怖と憎悪を植え付けてまで。

いくら別の映画とはいえ、同じ太平洋戦争の時代なのは同じだ。「終戦の決断に苦悩する陸軍大臣」とか、「国民を案じる天皇」とか、「聖断を拝する首相」がいくら悩んでたとしても、ここまで踏んだり蹴ったりじゃないはずだ。

まー見てもいない他の映画を引き合いに出すのもどうかと思うので、それはいいとして。

主演しているのは、監督自身とのこと。『野火』への道によると、

 積年の夢だった映画『野火』について語る際、塚本晋也監督が必ず口にする言葉がある。「唯一残念なのは、自分が主演ということ。相当なガッカリ感でスタートしました」

 そう聞いて笑ってしまう人が多いが、これは製作者でもある塚本監督の、市場を見据えた本音である。「『野火』は多くの方に観ていただきたい作品だったので、皆さんが知っているような著名な方に出てほしかったのです。でも、現実的には厳しかった。

積年の夢をかなえ『野火』を映画化できたこの監督はすごいと思った。「この映画が作られたこと自体がニュースであり事件」といっていい映画。戦争映画だからといって、堅苦しく考えないで見れると思う。「反戦」をことさら打ち出している映画でもない。戦争賛美映画ではないのだけは確かだけど。

ただ、この映画の最後は、わからなかった。
あれは、どういう気持ちのものなのか。


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◆『野火』を読んだの相当むかしなので、間違いあるかも。
◆『野火』はごくごく薄い本なので、読みやすいですよ~ まだの方どうぞ

TOKYO TRIBEを映画館にて体感☆

記事の分類:レビュウ

映画『TOKYO TRIBE』を観てきた。

面白かった!!・・・・・という言葉でいいのかな? 適当な言葉が浮かんでこない。

なんかギュウギュウ詰めにいろんなものがひしめいて画面全部が充実しきっている映画だった。

準主役の清野菜名ちゃん、えらいキレイ。ネットにあがってる写真よりぜんぜんキレイ。表情もいいし。

「練馬ザファッカー」にはブッ飛んだね。練馬ンコよりはいいけどwそれじゃ下品すぎだし!! 

とか思ってたら最後「おれのチ○ポは大きい」的な話になり、「そっちですか?!」とあっけにとられた。
まさかねーそういうこと言う人がいると思ってなかったし。いやわたしも前から男性の人って、そういう事で競ったりするのかなとは思っていた。特にナニの場合計測可能だから、よりいっそう競争意識に拍車がかかるというか何というか。

そこへ行くと女性の場合、計測できるものが特にないから(あえていえば年齢だけど)(バストサイズとかだったらマツコデラックスの勝ち!!)、たいがい自分が一番キレイ、ヤサシイ、モテル、ぬぐとスゴイと思ってる気がする。

女の格差ってすごいのに、そのせいで認めたがらないじゃないかという気がする。思いつきだけど。

でもほんとそうなの。わたしの知ってるケースだと、とある若い医者がいたんだけど、50人以上の女性と遊んでいた。顔もスタイルも性格も普通程度で特にパッとしない男。けど、とにかく「ドクター」ってだけで女性がついてくるらしくて。

きっと、結婚でもにおわしたんじゃない? で、しばらくしたら、

ずっと前に研修に来ていた、若い医師の女性と結婚した。

なんだかねえ・・・・・・

とくにドテッパラ刺されてないところを見ると、うまく逃げ切ったんだろうけど、わたしはその人のこと、顔見るのもイヤになった。

ほんと、やだった。

『TOKYO TRIBE』とはぜんぜん関係なかった。そうそうショコタンが逃げた?と思わせといて、また出てきたシーン受けた なんか細々としたところで受ける映画だyoー

ルパン三世(実写版)を映画館でみた

記事の分類:レビュウ

モンキー・パンチ原作の人気アニメを小栗旬、黒木メイサ、綾野剛ら注目俳優の共演で実写映画化。超巨大要塞型金庫“ナヴァロンの箱舟”に収蔵された宝物、クリムゾンハート・オブ・クレオパトラに狙いをつけた世紀の大泥棒、ルパン三世とその仲間たちと銭形警部との攻防が繰り広げられる。監督は『あずみ』の北村龍平。

好きなアニメトップスリーに子どもの頃から入っているため、観に行った。

不安要因だったのはもちろんキャスト。ことに峰不二子が黒木メイサって「イメージ違い!!」「顔こわすぎ!!」「藤原紀香のがまだ近い!!」と悲鳴に近い不満の声が北は択捉島(えとろふとう)、南は沖ノ鳥島から聞こえてくるんじゃないかって。

ところが実際に観たら、黒木メイサさんべらぼうに美しくてぐうの音もでなかったね。「不満言ってごめんなさーーい」とスクリーンに向かって謝ってた。

ルパンを演じる小栗旬も、アニメのルパンに近い軽妙な感じを醸しつつアクションも頑張ってて、わたしは好感をもった。ただひとつだけ残念だったのは、峰不二子を好きだという熱い気持ちがそれほどは伝わってこなかったこと。台詞としては「フジコちゃーーん」とガンバッて言っているんだけどネ…

それも無理もないと思ったのは、スチュワーデス(現CA)役で奥さんの山田優が出てきた事。まるで黒木さんとダンナの浮気現場をおさえに来たみたいで、夢がなくなるのでそういう楽屋落ちは10年後にしてほしいと思った。

実写版「ルパン三世」…偶然にも日・台・韓「花より男子」キャストが勢揃い! – NAVER まとめ

今回のルパン三世実写版、見所はアジア五カ国でのロケ、韓国や台湾の俳優たちとの共演というグローバルな広がりにあり!!
これからもこういう映画が増えてくれるといいなあ。

かぞくの国を、日本映画専門チャンネルでみた

記事の分類:レビュウ

kazokunokuni

1959年から20数年にわたり約9万人以上の在日コリアンが北朝鮮へ移住した

「帰国者」と呼ばれる彼らが日本へ戻ることは困難を極めている

『かぞくのくに』冒頭部のテロップ

日本で両親と暮らすリエ(安藤サクラ)は、帰国事業で北朝鮮に移り、脳腫瘍の治療で25年ぶりに訪日した兄のソンホ(井浦新)との再会を喜ぶが、常に同行する監視役にも阻まれ、相互の溝を埋められずにいた。

Q.──自身がモデルの「かぞくのくに」の主人公、リエは、お兄さんたちに起きたことを決して許さないと言っている。お父さんの決断を今はどう理解しているか。

A.20代の頃は、父が兄たちにしたことに対してずっと怒りを感じていた。(帰還)事業の共同プロパガンダに加わった日本のメディアにも腹を立てていた。私は父にそれほど北朝鮮を愛しているなら、父がそこに住めばいい、私の元に兄を連れ戻してくれと言った。
しかし、父は、1971年に息子たちを送り出したとき、北朝鮮に住めばより良い教育や、より良い人生が与えられるチャンスがあると心から信じていた。父にとって、在日朝鮮人として日本にいることは、父いわく「ゴミとしているよりもひどいもの」だった。

日本映画専門チャンネルって、今やってる60周年記念ゴジラ特集もそうだし、原発再稼働問題のとき原発に関係した映画を流した時もそうだけど、何の映画をおりおりに放映すべきかよく練っている。今は、そう、『愛のむきだし』で「安藤サクラとかってすごくない?」という安藤気流を逃さず、『かぞくのくに』ぶつけてきた。あと、今のヘイトをはじめとする浅慮な排外勢力にさりげないNOをつきつける意味でも。

わたし自身、気流にのってミーハーな気分で観たのだけど、ガーンと重たい石にこころをふたがれた。観てる間、とくに中盤以降は「北朝鮮ほんっとやだ」「北朝鮮だいっきらい」「あーーやだー北朝鮮やだーー」と、ばしばしテーブルたたいたりフキンなげたりと、とてもじっと観ていられなかった。「三か月」の約束で日本にやってきたのに(その三か月も病気治療のためには短すぎるのだが)、理由もいわず突然「明日帰国しろ」と北朝鮮は命令してきた。もーーーー絶句も絶句。

しかしそんな北朝鮮になぜ兄が住んでいるのかといえば、父が行かせた。元は日本に住んでいて、楽しい友人達にも恵まれていたのに、わずか17歳の息子を「帰国事業」にのせて父は北朝鮮へ送り出した。無理やり拉致されたというならまだしも、行かなくてもよかったものを行かせた。自己責任厨ならあほだから「自業自得」と四文字熟語で切って捨てるところだ。

この映画の見所は父、母、兄、妹にさらに叔父と、だれもがすごい演技をしているのが第一だけど、他には、ソンホ(兄)の日本の風景をみつめるまなざし。ありふれた川沿いの道路、古い住宅街、その中の喫茶店、川と夕日。どれも見慣れた、ありふれた日本の風景なのに、ソンホの目を感じながら見ると違って見える。郷愁を拒絶するような固い風景。よそよそしくて、ビルという記号、家という記号、川という記号。こんな見え方もあるということに気づいたし、日本の見え方とはひとつじゃないんだと、感じ入った。

この映画で賞を受賞した安藤サクラの演技もグイグイ引っ張っていくけど、お母さんの宮崎美子も涙なしに見れない。ソンホを送り出す直前に監視員の男に服を新調してあげて、手紙も添える。そこには「祖国を信じるしかないのです」とか書いてあり、とても信じられない祖国だと思ったけど、苦手なハングルで必死で書いた手紙だ。その思いが通じて(通じるとは思えないから、ここらへんでも北朝鮮がイヤでイヤでたまらなかった)、監視員が、あるいは北朝鮮が、ソンホに何らかの便宜を図ってくれるとか。そしてまた治療のために日本に送ってくれるとか。

母の思いの一方、ソンホはもう北へ向かって歩みだしていた。空港へ向かう車の中、「白いブランコ」と少し口ずさんでぴたりとやめた。ここ、どう考えたらいいんだろ。祖国としての北朝鮮に帰る決意をした、ということなのか。わたしはそうは思いたくない。ソンホが気持ちの舵を北へ切ったのは、北に自分の家族がいるからだと思う。だから、たとえ脳腫瘍が悪化して言語機能を奪われ最悪死を迎えるとしても、家族のいる場所でならばその運命を受け入れると決めたのだと思う。

妹リエにとっては兄こそが大事な家族なので、去っていくのは耐え難いのだけど。

愛のむきだし、やっとみれた

記事の分類:レビュウ

ainomukidasi

「自転車吐息」「紀子の食卓」の鬼才・園子温が237分の長尺で描く奇想天外なラブストーリー。主演は映画初出演で主演を飾るAAA(トリプル・エー)のボーカル西島隆弘、ヒロインを元Folderの満島ひかりが演じる。共演に安藤サクラ、渡部篤郎ほか。敬虔なクリスチャン一家で育ったユウは、神父の父に毎日懺悔を強要される日々を送っている。“罪作り”のため女性の股間ばかり狙う盗撮を繰り返すユウは、ある日、ヨーコという少女に出会い一目で恋に落ちるが……。

via:愛のむきだし : 作品情報 – 映画.com

「特集 満島ひかりがみたい!」で見た4作目。
劇場公開2009年1月 上映時間237分

出たー!! 愛のむきだしーーっって気分だった。この数年間、見たい見たいと思いつつ見れないでいた映画。R-15なので、同監督の『冷たい熱帯魚』ほどじゃないけど血しぶきが飛び肉片が跳ね刀が刺さりナニがちょん切られとハードな場面多し。

実際、『冷たい熱帯魚』を思い出させるシーンもあった。キリスト教が大きなモチーフになっており、純白のマリア像が今にも割れそうな危なかっしさでたびたび登場する。純白のマリア像は『冷たい熱帯魚』にも出てきた。この映画でも「あーあ、お母さんがマリアがどうのと余計な言いつけ(=予言)(=命令)をするから不幸の元凶ができちゃって」と、とてもじゃないが好意的には思えなかったブツ。

つまりはキリスト教自体にも好意的な感情がわいてこないわけであるけど、それでもヨーコが新約聖書の「コリント書第一の手紙」第13章を叫ぶシーンは忘れられない。検索したら(しないと新約聖書もコリントもよーわからんため)多くの人がそう言ってた。『愛のむきだし』のコリント書の場面は映画史に残るほどと。わたしもそう思う。
あのシーンが、ヨーコの耐えた苦しみの重さと時間を発見させる。そして昔の人って、なんて偉大で普遍的な事を言うのだろうと、驚かせる。事実、今だって、最後に残ったものは「信仰」「希望」「愛」のみっつだけじゃないか?

(信仰は宗教だけとは限らない。ある人にとっては科学であり、ある人にとってはアイドルへの熱愛であり、ある人にとっては金融であり)

そんな中、キリスト教系邪教・ゼロ教のボス・コイケ(安藤サクラ)がユウに目を付けて、ユウの家族とユウの大事なヨーコを巻き込んでいく。その手管、思わず本気で憎悪の念がわきそうになるくらいコイケすごかった。もっともユウだって、いわばヨーコ教に陥って追いかけ回すのだから、当のヨーコにしたら大迷惑のキ○ガイ。だから、誰の信仰が正しいのか、誰が信用できる人間なのか、誰の目線、誰の立ち位置がまっとうなのか、どんどん分からなくなっていく。ただただ、映像の流れに身を任せ、自分の内なる反応に素直になりつつ体感していくしかない、ヨーコとユウのふたりの関係なのだった。