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タグ: 映画

経済産業省はおバカな日本文化PRパーティーをやるくらいなら、カンヌに参加する女優達の衣装にもっと金を出すべき¥\(・o・ )do-zo

記事の分類:エンタメ

是枝裕和監督「怒ってます。」 ブログに記載、何があった?(ハフィントン・ポストより)

是枝監督の怒りは、二重構造である。最初は経産省に。二度目は文春に。

5月18日に行われた経済産業省後援の日本文化PRパーティーを欠席したと報道。その理由として、日本がこのパーティーを含めた一連のイベントで紹介したのが、くまモンやミニフィギュア「コップのフチ子」など映画と関係のないものばかりで、是枝さんがその演出方法に賛同できないため

どーーして映画の祭典にくまモンやミニフィギュア「コップのフチ子」なんかを持って行ったんだヨ経産省は。恥ずかしいヨ。何も生み出せない役所の役人が恥だけはまき散らしに行くってのは、もうダメでしょ

映画や映画監督、女優の方が偉いの。
生み出し、作り出す人間の方が偉いの。
ぜんぶフラットにしてあげようという変な平等心が、事態をおかしくしているんだ。
経産省のお役人は、国家の召使いというだけで、何も偉くないの。
召使いさんも存在していないと困る。それは確かだから認めなくてはならないけど。
それなりに大変な仕事だろうから、給料も高いし、公務員という安定的!!(ここ重要)な職業。

だからって、偉いわけではないんだから。
映画と、作り出す人間をもっとリスペクトして、そのためにガンバんなよねほんとに

以上が記事を見てわいた怒り。んで!!!!

この記事の下にあった写真集見て、さらに・・・・

なんだこの、美しくない衣装は?

なんだこの、身体のラインを隠しまくる防衛的な衣装は?

夏帆なんか青、ぜんぜん似合ってないし
長澤まさみの着ているの、なんだその地味なの!!!
広瀬すずは未成年だからこのカワイイのでいいけど
どうしたの?綾瀬はるか。ちっとも素敵に見えないよね。
いっそ和服でいいよ、白人に比べてスタイルに自信がないっていうなら。
お金をケチられたってことなのかなあ?(和装は高いから)

ひょっとして、女を武器にするのやめて表現者・アーティストのつもりなのかなぁ?
それにしちゃダサいし・・・・

一番考えられるのは、四人で相談し合って、いかなる嫉妬も羨望も生み出さない『海街diary』的な平和なカッコウにしようねって決めた可能性かな。日本的な和の精神で、誰かが特別に目立たないようにした、という。

けどさ、日本的な和を尊重してより素敵な方へ行くならそれもいいけど、下方へ行くならやめてほしい。

『海街diary』を見る気がしなくなるじゃないか


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韓国映画『私の少女』を、渋谷ユーロスペースにてWさんとみた。

記事の分類:レビュウ

ユーロスペース、この映画に関して「女性二人でご来場なら一人1300円」という企画をしていた。
それおトクじゃん!! とばかり、さっそく映画友達のWさんを誘って行った。
2人だと呑んだり食ったりして結局高くつくと、あとで思い知る事になるのだけど、「女性二人」で優待した理由は見終わってすぐに分かった。
それでお互い「そういうことかあ(^O^)」と顔を見合わせ、ついでに「どう? わたしと?」と言ってみたところ、鈍器のような鈍い反応が返ってきた。
わたしとて冗談でもWさんはちょっと・・・。(Wさん、ごめんごめん)

そんなイミフな前振りはここまでにして。
ゆえあって地方に左遷させられたエリート女性警官ヨンナム(ぺ・ドゥナ)と、土地の唯一の若者であるため、いくら暴力をふるっても住民ぐるみで容認されてしまい、誰も助けようとせず犠牲になっている少女ドヒ(キム・セロン)。
両者の交流を軸に、若者不足の地方の窮状、不法労働者の問題、暴力、性的マイノリティー
と、社会問題と私的な事柄を双方織り込んでいく。

もともと見ようと思った動機の大きい部分は、宣伝スチールにある田園風景(上の写真)だ。以前も『殺人の追憶』の死体遺棄現場の田園に懐かしさを覚えたものだけど、この明るい黄緑色の光景もキレイだ。
ちなみに、『私の少女』ロケ地は仁川、江華島etc…とのことだったので、地図で調べた。
中国方向へ面した海で、ソウルにもほど近いということが分かる。
冒頭部分の雨の中車を走らすシーン、ソウルからここへ向かっていたのだなと、あらためて分かった。

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思うのは、ヨンナムがドヒに「私と行こう」と決断してくれた時、いったいどこへ行こうと言ったのか?
単にソウル(都会)ならばまた困難が待ち受けている。けれど、この地方にもいられない。ある意味、どこにも希望がないのだ。
あるとしたら、それはダンスであり、お互いが一緒に居る、ということだけ。
なにせ、そこへ至るまでに存分に、映画は、そしてキム・セロンは少女の重さを描いていた。
見てて、鬱陶しいなあと思った。ここまで頼りにされ、すがられてしまうと、いくら暴力の被害者の少女といっても苦しい。
そんな重さと肌触りを感じさせていた、キム・セロンの表情と一挙手一投足。
自分がもし、ヨンナムの立場なら、ドヒに一緒に行こうと言えるか? 一緒に行こうとはいかないまでも見捨てずにいられるか?

断じて見捨てる人間になっちゃダメだろう。
そんな、生きる覚悟を再認識させる面がある映画。
が、この映画の場合は、映画らしいヒネリが加わっていて、観る者の負担感(覚悟)を最小限に抑えてくれている。

映画とは、サービス業であり都市の産物なんだなと期せずして思ったり。
そう思う他の理由は、ぺ・ドゥナの見事な美しい鍛えられた贅肉のないかっこよすぎる肢体にある。足が長く、細く、ヒップが上に上がっていて。
本編中ださい髪型なのは、村の美容院で切ったから。ドヒもまったく同じ髪型なのがミソ。

にしても、韓国も日本も、出生率の低さで並んでいる。
どうしてそうなったのかというと、結局どっちも巨大な田舎だからじゃないかとか、あれこれ考えてしまった。
あと、終始イイ男の出てこないコクな映画ではあるけど、後で考えると、あの暴力男をやってた役者さんの演技はスゴい。
酔っぱらって子供を殴る、蹴る、髪の毛ひっつかむ時の、ヨタヨタユラユラしながらのゾウリが脱げそうな、日常と化した暴力風景。観てるときは演技ってまったく思えず、ほんとにそういう人を連れてきたのかと思ったくらい、真に迫っていて。

この人たちの出る映画、これからも観ようと思った映画だった。