メディアと自民党

西田氏の力作研究書、『メディアと自民党』を読んだ。
正直、かなりイラついた。なにゆえにわざわざ過去の自民党とマスコミの関係を「慣れ親しみの時代」などと繰り返し表記するのか?

学者だから批判的な表現ではなくてニュートラルな線をねらったのだろうか? あるいはこの関係にはメリットもデメリットもあるからだろうか。あるいは、旧世代のマスコミ&自民党への批判といっしょになりたくなかったからなのか・・・・

ともかくこれじゃ読者が煙に巻かれるだけと心配した田原氏が、帯にわかりやすく〝隷従〟という言葉をもってきてくれた。

マスコミの人だって自民党の議員だって個人としてはみないい人のはず。そう思えば、隷従などと古くさい上目線に抵抗があるのも分かる気はするのだが・・・・・・。

が、組織になったときに怪物化する人間の恐ろしさをもうちっと意識してほしいなと、思ったり。

さて。

 

事の発端は、2015年6月26日深夜。朝生の出演を自民党と公明党の国会議員が蹴ったことだ。

それまでは、与党と野党の議員、プラス論客たちで議論できていたものが、肝心の与党議員が参加しないとなると、政策を巡ってのオープンな議論と、それを見て判断する一般有権者という図式が成立しなくなる。

大変な損失である。

いやさ、大変な損失のはずだし、そのことはまずメディア(この場合テレ朝)が与党議員を批判し、民主主義のどだいとしての議論の場を軽視したと論客たちも批判し、判断材料を失った一般有権者も批判しなくてはならない事態だった。

が、それはあまり起きなかった。
その一方で安倍晋三は、7月6日に「ニコニコ生放送」で直接国民に安保法制について語りかけていた!!

これは、メディアを頼らずとも、メディアはスキップして直接メッセージを伝えることができるようになった、技術の進歩のおかげだろう。

よかったよかった。

いやいや、よくないよくない。というか、よいと決めるとここで話は終わってしまう。

その後本書は、世耕弘成議員(@SekoHiroshige)の巧妙なビジュアル戦略などを詳しく紹介している。
→→→巧妙な、という言い方は悪者視したかのようなわたしの言い方で、西田氏はそんな言い方はしていない。

その他、ほんとうに詳しく微に入り細に入りいろいろと書いてあるのである。
が、その大方はITテクノロジーの進歩ってすごいよね、って話であって、人間の何か、政治家のものの考え方が、すごいってわけではないと思う。つまり、アップル社とかマイクロソフトとかgoogle社がすごいねえってことにすぎないのだ。

モンダイは、野党の連中が、ぜんぜんこの事態に付いていけていないってことにある。

自民党は付いていっている。
(その方法は本書に詳しい。せめて野党はこれを読んで勉強すべき)

かたや政府に対して劣勢となったマスメディアは、これらの技術の進歩に対してどうだろう? あまりはかばかしく付いていっていない。

が、マスメディアには他に大きな役割がある。本書の最後の方は大学生の話になるのだが、

 彼らの主たる情報源は、(デジタル機器やモバイルデバイスに媒介された)口コミとインターネットである。インターネットは、伝播性、双方向性、相互浸透性といった、その技術特性で、確実にメディアを変えつつあるかに見えることだろう。

憧れになるのはオールドメディア

ところが、そうであるにもかかわらず、大学生の多くが就職活動で志望するのは、圧倒的にマスメディアであり、それらの人気はインターネットメディアをはるかに上回っている。人間の行動規範や社会の習慣はそれほどに惰性的なのである。

惰性的というよりも、オールドメディアが果たしている他の役割がある、ということだ。

それは、学歴社会という秩序を守る、という役割だ。

この秩序が守られないと、まずもって予備校産業が困ることになるだろう。

ことにノーベル賞という目指す先のある理系と違って、文系には優良企業に入れるという目標以外に、とくに目玉はない。(あるかもーだけど、わたしはしらん)

本当ならそれじゃ困るわけで、このままドンドン先を走って行く技術に対して、生命倫理にしろ、ほかのなんかにしろ、きちんと論陣をはれ、思考を積み上げていかないと、人間はもういなくていいじゃん? 的になりかねない。

目先の就職のことばっか考えてていいのか、大学は。って思う。

ともかく、オールドメディアに就職した若者たちが、いづれ秩序の保持ばかりではなく、ちゃんと時代の流れに応じ、つまりは自民党のメディアすっ飛ばし作戦に負けない方法を思いついてくれるといいのだが。

その際の方法が、自民党との癒着やなれ合い、隷従であってはならない、ということだ。

下手すると、そうなりかねないので、若者たち、そこんとこヨロシクだ。


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自民党一党独裁時代を終わらせるためには?それを考える前に、自民党最強伝説がうまれた理由

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この前、『橋本治という立ち止まり方』についてupしたけど、ひきつづき読んだら「なる・・・・」と妙に納得した事が書いてあったので紹介する。
先に要約すると、アジアの他国(特に韓国)とのパイプを持っているのは自民党だけなんだ、だからいつまでも与党であり続ける。

p.131

「戦前」の中に「戦後」はない

 日本の「戦後」というものを考えて、私にとっては不思議だったのが、どうして戦後の日本には「戦前」と手を切った新しい政治家が生まれなかったのかということだった。
 1945年8月15日の終戦を契機として、日本は革命的な変化を遂げる。その変化を実行するのは日本にやって来たアメリカの占領軍で、日本人はその指示の範囲内で「変革」を実践して行く。当然、それ以前の「軍国主義日本」を動かしていた人間達は公職追放ということになるのだけれども、アメリカ占領軍が日本から撤退して行く段階で、この人達の追放は解除になる。
 一度公職から追放され、これが解除されて復帰した人達の中には、戦後日本をリードして行った鳩山一郎、岸信介という二人の総理大臣もいる。ついでに言ってしまえば、市川房枝も公職追放解除組ではあったけれど。私は昔から、この「公職追放→解除→現役復帰」が当たり前であった「戦後」というもののメンタリティがよく分からなかった。一方では、軍国主義から民主主義への革命的な変化がある。しかし他方では、相変わらず「戦前」以来の地続き的な「そのまま」もある。「公職追放」というものは、軍国主義日本のあり方を担った人達の「一時謹慎処分」のようなもので、「一応反省したから、もうなにかを問われることはないということなのか?」などと思った。
 (中略)「新しい時代になっても新しい時代を担う人材が生まれないから、古い時代の人がそのまま時代を担うということのなっていたのか」という理解の仕方をしたからだ。
 現実社会では経験がものを言う。いくら新しい理論が登場したって、それがそのまま現実社会に適応出来るわけはない。国家主導で強引な変革が実現できる国ならともかく、戦後の日本はそうではない。理論と現実の間では、さまざまな妥協が必要になって、そお妥協を実現させる主体は、現実での中で生きて、「経験」を体現している人達だ。
(中略)
 なんでこんなことを考えたのかと言えば、NHKのテレビで「日韓関係」をテーマにするシリーズものをやっていた、(中略)

 韓国をはじめとするかつての日本の植民地だったアジア諸国との戦後に於ける国交回復は、公職追放解除組につらなるような人脈の人達によって達成された。そして、戦後に新しく独立したアジアの国々のリーダーは、なんらかの形で日本の影響を受けている。日韓国交正常化の一方の主役だった時の韓国大統領朴正煕(パクチョンヒ)は、戦前に日本の軍人教育を受けている。彼の中には、日本に対するアンビバレントな感情があるんだろう。しかし、彼が日韓国交正常化のパイプ役として求めた相手は、公職追放から総理大臣になり、六十年安保の改定後にその座を退いていた岸信介だった。
 東条英機内閣の商工大臣だった岸信介は、その以前、満州国の産業部次長で、満州国の産業経済の中心ともいえるような存在だった。その満州国に朴正煕も「日本の軍人」としていた。朴正煕が「アジアのことが分かって、日本の政界に大きな影響力を持つ人物」として岸信介を考えるのは、不思議ではない。
(後略)

(以上、政権交代した2009年までは、という話しなんだけど)

それで思い出したのは、高麗神社近辺の自民党天下ぶりは凄かった。
その一方、嫌韓で反在日運動する人も自民党支持と思われるので、ややっこしいな


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