映画オッペンハイマーは予備知識なしで見ても大丈夫かどうか

予備知識ないならないで大丈夫だった。
見終わったあとに疑問がわくので、否が応でも調べたし。
予備知識なければ、ありのままの自分で見れる。

映画見始めてまず気づいたのは、アップテンポの明るい音楽が流れていることだった。
まるで原爆投下という終末までの、時間の列車に乗っているみたい。

しゅしゅぽぽしゅしゅぽぽ

オッペンハイマーはじめ、科学者たちはいきいきと働いていた。
理論物理学とか実験物理学とかをやっていた。

ナチに先を越されてはまずいというので、焦っていた、というのもある。

しゅしゅぽぽしゅしゅぽぽ

見終わってから調べてもよくわからなかったのは、どうしてこうオッペンハイマーの周りには「共産党」関係者が多いのか?

ってことと、

つまるところ、「核の連鎖」で起きるのは、核兵器を保有国が落とし合いっこする、という意味なのか

それとも、量子力学的な連鎖のことなのか?

へっ! ふざけるな、と思ったのは

世界が核の連鎖によって破壊される、その扉を開いてしまったと青くなっていたオッピー(とアインシュタインも?)だけど、

落とされた方にしてみたら、その時点で世界は破壊されてるよ。
あなたのいう世界って何?
ユダヤ人仲間が殺される、って意味?
それとも自分の家族や友達?
それとも欧州のりっぱな遺跡とか歴史的遺産とか文化とか?

世界の中心にいるオッピーの青ざめに共感できなくて困った。共感度、ゼロではないけどほぼゼロ。

しゅしゅぽぽしゅしゅぽぽ

当方の脳裏にかつて見た原爆の映像が浮かんだ。
アニメや漫画で読んだ『この世界の片隅で』
映画で見た『夕凪の街 桜の国』
大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』
赤旗で読んだ『はだしのゲン』
修学旅行で体験した原爆記念館の巨大パネル…

わたしはそっちの立場に立つ。
だからノーランとかオッピーはいい加減にしろ、って感じだった。

そら、オッペンハイマーが作らなくても誰かが作った可能性は高い。
今調べたらソビエトで核開発したのはイーゴリ・クルチャトフ
とか言うヒトで、オッピーと同世代人。
オッピーより数年早くなくなっている。

ちなみにオッピーは水爆の開発に反対だった。というか、戦後は端的に言えば反核。

それでも、1945年以降、オッピーの亡くなる1967年までの間に、20回以上の水爆実験含む核実験が行われた。
1962年になってようやく各国首脳の眼が多少さめたのか、部分的核実験条約なるものがうまれ、地上で大規模なのは、やらなくなった。

見終わってから得た情報だと、ノーラン監督が一番恐怖を感じたのは、世界破壊の可能性がゼロではないのに核実験のボタンを押していた、という史実。

ゼロではないのに。
世界が全部破壊されるのに。

ちょっと『首』にも似てる。

授業じゃ偉人と教わったヒトが、実はしょうもうない動機で動いていた。

復讐心とか
恨みとか
嫉妬
確執
ひがみ
競争心
勝利欲
権力欲
あれこれの欲望

考えてると、怖くてたまらなくなる。
今、穏やかに暮らしているこの生活が、いつ、しょうもないやつのしょうもない動機で破壊されるのかと、思うと。

それくらいなら、映画を見ていた方がましだろう。いや、映画の方が断然良い。
ノーラン監督ってすごい。
『オッペンハイマー』を、今度はドルビーやアイマックスでも見たい。