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『教育格差』を読んで。

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日本は「生まれ」で人生の選択肢・可能性が大きく制限される「緩やかな身分社会」。教育格差の実態を圧倒的なデータ量で検証。すべての人が自分の可能性を活かせる社会をつくるために、採るべき現実的な対策を提案する。【商品解説】

本の目次

  • 第1章 終わらない教育格差
  • 第2章 幼児教育――目に見えにくい格差のはじまり
  • 第3章 小学校――不十分な格差縮小機能
  • 第4章 中学校――「選抜」前夜の教育格差
  • 第5章 高校――間接的に「生まれ」で選別する制度
  • 第6章 凡庸な教育格差社会――国際比較で浮かび上がる日本の特徴
  • 第7章 わたしたちはどのような社会を生きたいのか
以下感想

帯に「読後感は重いが説得力は半端ではない。」とある通りズンと身に堪えて、それきりしばらく落ち込んでました。

3人の子を育てたうちですが、大学教育を受けることからは、最初から排除されていたのだと気づいて。

子どもが小さい頃から、なんか変だなぁとは思っていました。そして、いつもモヤモヤしていました。たとえば、

「子どもたち、大学に行かせた方がいいのだろうか?」「大学に行かせるには、どうしたらいいのだろうか?」「全然勉強をやろうとしないけど、子どもに勉強をさせる動機付けは何なのだろう?」

いつもいつもこの問いの中にあって、けれど答えは出なくて、結局子どもにコレといった道筋を付けてあげられませんでした。

これらのモヤモヤは、自分たち夫婦(含め一族郎党)が大卒でないために起こったものだったのです。

日本の教育制度は、行き渡った義務教育や高い高校進学率もあり、いかにも平等に見えます。つまり本人のアタマの良さ次第に見えます。けれど、そうではなくて、親が大卒であるかなしか、三大首都圏に住んでいるかどうかに大きく左右されていたのです。

 

要するに、学歴は金で買うものだったのです。
本書には「金で買う」とは書いてませんし、世帯年収別のデータを出しているわけではないのですが、大卒者と非大卒者では生涯年収に違いがあることから、代理的に大卒という尺度がある模様です。これ「社会経済的地位」略称SESという用語で表現されます。単に年収が高いだけではなく文化資本の程度も表します。高SES家庭だと大学へ行くことの自明性が高いのです。さらに、似た階層の者が近隣に住む傾向があるため、高SES同士は固まり、地域ぐるみで大学進学は当たり前の前提になり、そのことが、地域の公立学校にも反映されるのです。

日本の場合、私立の割合は小学校で1.2%、中学で7.2%とまったく高いわけではないですし、(ソース) 国認定の学習指導要領にのっとった教育がされています。なので、基本的には全国平等です。

差が出てくるのは夏休みの、「構造化されない時間」をもつ期間です。高SES家庭はこの期間も時間の構造化を行い、ダラダラと一日中ゲームなどはさせません。また、そうさせないための自明性と強い背景を持つのです。これがないと、いくら口で「ゲームばっかやってちゃダメ」と言っても少しも言うことを聞きません。さらに構造化を手伝うもろもろの質のいい塾や夏季体験、夏季ならではの学習体験をさせる経済的余裕もありませんから、ゲームでもやっててくれれば手がかからなくていいわ、となるのです。(この太字、わたしの実感です)

夏季冬季だけで足りなかったら全寮制の学校に入れてしまう、という選択肢もあるでしょう。同程度の大学進学圧の者同士が集まれば、競争原理がはたらくので、勝手に「負けるもんか」と勉強を頑張ることでしょう。

ここで疑問になるのが、「そうやって構造化された時間や、競争原理だけで大卒なったとして、そういう人が動かしている社会って、大丈夫なの?」ってことです。

これ、例えてみれば、有名芸能人の2世しか出演していないテレビドラマを見せられているようなもんです。

2世って大勢いますし、かつての大スターの息子さんなんかもテレビに出てますけど、びっくりするくらい凡庸です。その平凡さでよくテレビに出る度胸あるよなあと感心します。けど、親二人がスターだから芸能界進出は自明だったのかもしれません。周囲もそういう空気でしょう。芸能界のルールや礼儀作法などは親に厳しく教わってますから、そこらはぬかりありません。

それだけで出てこられてもなぁ・・・・・と思いますけど、かつて自分もファンだった親御さんの目線で見たりする、という、方法もあることはあります。

そんでも、2世なんかじゃなく出てきた若い俳優たち女優たちは、瞳の輝きが違います。とある映画で空を見上げていました。その時の眼差しの澄み方、未知を宿す横顔、選びぬかれた者の優美さ、内側からみなぎる生命力。この歳になっても、見てると胸がキュキュキュキュウウウウンとしました。そんな気持ちにさせる2世、いますか?って聞きたいですよ。

そんで思い出したけど、うちの病院、よく医学部の学生が見学に来てるけど、一流私大の医学部学生のわりにはボケッとしていて、大丈夫? って思います。なんかパペット人形みたいなんだけど。

「構造化された時間」というと聞こえはいいけど、好きなものを嫌い、嫌いなものを好き、というのに近い面もあるのじゃないでしょうか。デメリットとして。

そうそう他に、ここ最近の入院患者さんのうち、医師の子どもというのがやけに多い気がします。前は、こんなにいなかったと思います。今の身分社会の一番の実質的な被害者って、高SESから滑り落ちそうな子ども・学生なんじゃないでしょうか? 彼ら、プライドが高いので間違ってもそんなの認めないでしょうが。

高SESから脱落したって別に生活はあるわけですが、本人(と家族)にしてみたら、そこは地獄でしょう。

注意:本書の著者は大学の先生。学生の悪口めいたことはいっさい書いてません。第一高SESなのは本人の責任じゃありません。

ただスーパー・サイエンス・ハイスクール – Google 検索のような、恵まれた子どもにさらに恩恵を与えるような制度には疑問を呈されています。

初耳なので調べたら、スーパーサイエンスハイスクールは2002年に始まっている公教育の制度です。それならそろそろ20年経過した今、どんな科学的成果、もしくは科学者を輩出しているのでしょうか? 検索したところ、これといったものはヒットしませんでした。

「スーパーサイエンスハイスクール事業の俯瞰と効果の検証」という、文科省の研究結果もみつけました。2015年の発表です。これによると、人材育成が目標の一つのようですが、はっきりした成果は書いてなかったです。あえて言えば、理系大学への進学率の上昇、の模様です。

学生本人は自分の知性と努力の成果だと思っているでしょうから、横槍を入れるのもナンですが、文科省他の関係各位に再考してもらいたいです。

Educational inequalityの画像検索
どの国にも教育格差はあるのですが、日本の場合は「無自覚、無意識の教育格差」と言えそうです。

本書を読むべき人は誰か

 

当方、読書を足場に自分の考えたことを綴るスタイルなので、長々書いてても、全内容の一角にしか照明を当てていません。ぜひ本書をあたっていただければと思います。

読むべき人は教育者、文科省の人など色々いますが、大卒でないために大学が分からない子育て中のお母さんも、読むといいかもしれません。

あと、大学の人も。

大学に行けばどういう良いことがあるのか、そして低SESの子どもでも入学してもいいことを、アピールしてほしい。

言われなくても大卒のほうが就職に有利になることくらいは分かっています。しかし「就職に有利だよ」とか「生涯年収は大卒の方が高いんだよ」とは、子ども対して言えるものじゃないです。
仮に言ったとしても子どもは理解できないでしょう。

お金がない分、言葉をかけていくしかないのが、貧乏人なんです。それならばどう言えばいいのか?

わたしには皆目見当もつきませんでした。だって大学について知らないのですから。

大学側も何か発信してくれても良さそうなものです。

個々の大学でもいいですし、大学を総括しているような文科省のような場所でもいいです。

大学はこんな素晴らしいところ。大学へ行けばこんな事が学べる。人類の叡智。現存する人類が辿り着いた知性の最先端、それを学べる。そのことにはこんな意義がある。etc….

そのようにオープンになってくれれば、若い母親・父親も「○○ちゃん、▼▽大学目指そうか。□□について知ることができるよ」と、言いやすくなるのではないでしょうか。

 

就職氷河期との兼ね合い

就職氷河期とコレカラを作り、就職氷河期について時々考察している当方です。

1995年には地域格差はあまりなかったそう。1995年から2005年の間に地域格差ができたとのことで、見てみるとドンピシャリと強度氷河期を挟んでいます。その後も氷河期は続いており、それゆえ結婚子育てできない人もかなりの数いると思われます。この状況で高SESとして子育て中の人がいる、ということです。

もちろん、高SESだけが子育てするわけではなく低SESも結婚します。低SESは大学へ行っていないので子への大学進学圧はありません。それが幸いして子どもを生めるのです。ただし、行く末は低賃金労働です。

ほんとうに日本は想像以上に格差の激しい身分社会と言えそうです。


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