わたしは流山に住んでいたことがある。
演劇って面白いなと目覚めたことは目覚めたが、これを観た理由はそれだけなので、登場する役者や演出家への造詣はナッシングである。

10人の登場人物が流山を舞台に、いろんな事を言ったりやったりするこの芝居、何より引き込まれたのは、彼、彼女らのセリフやアクションのタイミングがぴたりと客の呼吸と一致していることじゃないだろうか。

たとえば一番の山場ともいえる、ナイフを持った足立健(太賀)がスナックで感情を爆発させる場面。爆発させた理由は、親友の高橋満(賀来賢人)と妻の美咲(小野ゆり子)が浮気していたからであるが、そういう状況を経験したことのない、この場に居合わせた大半の観客(観客の6割以上は女性と見受けられた)にとって、その心理は想像するほかはない。そのため足立の動きは予測のつかない不気味なものであったが、方や対峙する高橋の方なら幾分想像がつく。責められる、経験ならばあるからだ(まぁ全員とは言わないが少なくともわたしは)。

責められ身が固くなる。返事もできない。包丁を振り回しているがそれを止めることもできない。強要された乾杯には嫌だが応じるしかない。質問されれば無理にでも返事をする。そんな一個一個の反応が、見ているこちらと少しもずれていない。

こういった事は他の場面でもそうだ。退屈だから始めてしまった風俗の出張先で高橋国男(皆川猿時)に会った時の、爪切りどこだ発言へのリアクションも、自分ならこうだろうな、という反応の域にある。対する国男の、「セックスしたい!!」も、ここでそう力説しないとしないまま終わりそうなスリルを回避できていて、自分でもそうするだろうという、性別を超えた説得力があった。

劇の全体が、そんな風に、自分の反応→自分の暮らし→自分の精神と向き合えるようなところがある。劇の最後のセリフが胸に響き続ける中、役者達が舞台に並んでお辞儀をした。劇が終わったのだ。その時に大きな拍手が沸き起こった。拍手はいつまでも続いていた。その拍手の強さも長さも、ぴたりと自分の感覚と一致していた。

観客の90%は、流山に住んだことも、ラブホに松戸を選んだことも、家が魚屋で隣人が大きな声で輪廻について話す人だったことも、ダイニングキッチンの隣が便所ということも、カラオケで感動しない「粉雪」と湘南の風を歌う友達がいることも、さらには喫煙者とも思えないが、この芝居が投げたボールは客の胸に確実に届いていた。

その感覚の中で帰路につけたことが、とても豊かな気持ちにさせた。

東京以外では、島根、大阪、広島、静岡でも上演するようだ。果たして、流山からも江古田(これもちょっとしたスポット。チェーホフの三人姉妹のセリフとか)からも、うんと遠いここらの土地での反応はどうなんだろう? 


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