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亜人、みた。

この映画は、今の日本や世界の気分をうまく現していると思った。
どんな気分か?

勧善懲悪が度を越えて通用しない。悪が主役顔で居座る。残虐で破壊的。常に不信感とともにいなきゃいけないこと。

ことに、衆議院を勝手きままに解散されたせいで選挙が始まる。

都政の仕事が地味すぎて性に合わないのか、国政にしゃしゃりでた小池百合子が「希望」という言葉を冒涜し、蛇の目で睨め上げて人をすくませている。オリンピックに向けた工期が遅れたからと、若い現場の人が自殺しているのを、どう思っているんだろう。小池女王にとって労働者は虫みたいなものだから、ハイヒールのつま先でブッチュと潰して忘れてしまうんだろうか。(参照1参照2

そんなで、「希望の党」やら何やらのことを考えていたせいで、亜人の佐藤(綾野剛)が小池百合子と重なって困った。特に東京を欲しがったところとか。

とはいっても、佐藤は政府の被害者だ。甚大なまでの被害者だ。そういう意味では小池百合子も“日本社会のホモソーシャル”などの被害者かもしれない。その果てに小池も亜人化(笑)したのだ。だとしても綾野剛と同列は褒めすぎじゃないか?とかあるけど、価値が転倒したり破壊されるのがこの映画の特徴だから、同列も並列もないである。

『亜人』の世界では、善悪の概念とか生命観が、猛然たるスピードをもって破壊される。そんな中で、生きるとは? 自分が守るべきものは何なのか? 何を判断の基準にすればいいのか?

という問いにギリギリの答えを出している。

当方など、今までフィクションの感想をたくさん書いている。すると、何の感想を書いても出てくるボギャブラリーや論の展開がだんだんと似てしまって、つまらなく感じることがある(そのフィクションは面白くても)。

のだけど、この作品は、観ていて自分の中にどんな思いが浮かぶのかと、自分の心理反応も面白かった。

ことに、永井(佐藤健)と戸崎(玉山鉄二)が車の中で取引をする場面。永井が自分の決意とこれからの行動を戸崎に告げる。ここがアクション以外での最大の見所だろう。永井が、悪とも悪じゃないとも言える戸崎という官僚に出した条件こそが、こんな今の時代の中でも、人が求める根源的なものじゃないかと思えて、とても興味を惹かれた。

☆ ☆ ☆ ☆

これから観る人のために、ここまでしか書けない。残念だけどこれ以上はやめておこう。

エグい残虐シーンが多いので、そこさえ耐えれば、かつて見たことのないタイプのエンタメとして楽しい。特に魅入ったのは、下村泉(川栄李奈)の、某人物へのなまめかしいまでの忠誠ぶりだ。

佐藤の半裸シーンも、ただでさえ衝撃映像の連続なのに、別の意味で衝撃だった。え?CG?と目をむいている間に服を着ていたのでもっと見たかった。(やりすぎるとイヤラシいので、あれくらいで丁度いいかも)

でもってネタバレってわけでもないんだけど、永井もいきなりの半裸になったので、ダブルですか?!とギョッとなった。永井はアッという間にどっかへ飛んでいって、しかもこちらは下半身もチラ見? みたいな構図だったので、喜ぶべきかもしれないと、思ったw。

そしてそして、亜人ではなく「人間」の方の代表選手として、吉行和子さんが演じた人のことも、忘れずに記しておこう。なにげなくて、普通で、田舎のオバサンで、でもこの人がいなくては成り立っていない映画だから。


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アイズ・ワイド・シャット / media:hulu

1999年のキューブリック監督映画をhuluでみた。hulu、それとノートパソコンで映画を観るという行為に慣れない。こんなお手軽な映画の観方があっていいのかと落ち着かないのだ。テレビで放映するのを待つよりも、レンタルビデオを借りてくるよりも、DVDを買ってくるよりも。いわんや映画館へ我が身を運ぶ手間と比べたら!!

ファスト。ファストフードならぬファスト映画鑑賞。

わたしはなんでもかんでもファストであることが嫌いだ。映画館でないと映画みないぞー!!

と思いつつ観てしまった。まあいいよね、ずっと昔、1999年の映画なんだし。

アイズ・ワイド・シャットはキューブリックが試写後5日目に急死した作品で、リアルでも実際の夫婦であるトム・クルーズとニコール・キッドマンが夫婦の愛と性と嫉妬ともろもろを演じた作品。という予備知識からして疲れそうな映画で(当方、実は心底の映画ファンというわけではないんだと思う。疲れそうだとひるむ)、キューブリックファンなのに長年見逃していた。

ところが観てみたら、あんまりにもマトモな映画で拍子抜けしたほど。特に、トム・クルーズが嫉妬と欲望(と、思われる。男でないのでよくわからない)に懊悩する表情と、そのさまを追うノロノロした重たい時間経過が新鮮に感じた。わたしの美意識では「ハンサム」ではないトムだけど、あちらでは典型的なハンサムガイなんだろう。誰も彼もがトムに魅了される。そしてわたしも、苦悩しつづけるトムがだんだん愛しくなってしまった。

上の写真はその懊悩も終盤に入ったあたり。ふわっと自分も一緒に入りたくなるような夜のカフェ。持っている新聞に重大なニュースをみつけることになる場面。その中で、奥の方にさまざまな人種の男女が談話しているのが見える。金髪の女性など、身を乗り出して話に熱中している。これ、患者サンたちがやってるSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)での、「人の話を聞く時は身を乗り出すように」という合い言葉を思い出してしまった。

カフェではひとりでコーヒーを飲むのもよし。いろいろな人たちと会話を楽しむのもよし。そこにはドロドロとした欲望なんかないし、不気味な秘密結社じゃないから裸にもならなくていい。不気味な世界と扉一枚隔てただけの危うさが日常にはあるんだとも解釈できるけど、その扉があるのとないのじゃ大違いだ。

その後危機を脱していくトムとニコール夫婦は、クリスマスの買い物に出る。ぬいぐるみやおもちゃが山積みの玩具店の通路を歩く。ここではトムがすっかりと男としての自信も威厳もなくして弱々しくなっているのが、もとからそういう人に見えてしまうくらいだった。対する妻の明晰さと強さはどうだろう? すがすがしく気持ちいい。快感。こんなに気持ちいいラストシーンってめったにないんじゃないか?

しかし困ったのは、その余韻がさめやらぬまま検索すると(なにせノートPCで観ているため何気なく検索できてしまう)、余計な情報が出てきて興ざめだった。曰く、トムとニコールの夫婦は映画完成後ほどなくして離婚しているのであるが、トムが一方的に離婚を突きつけた。ニコールはそのトラウマから立ち直るのに苦労したという。

そういえばこの映画でも最後に良いセリフを言っているのは妻の方であって、夫ではない。夫もマトモなことを言っていれば良さそうなものを、映画中では発することはなかった。彼も何か言っていれば、実際の夫婦の危機も多少減ったのではないかと夢想してしまった。

さらに、つい最近のニュースも目に入り、ニコールはトムとの結婚生活の暴露本を1100万ドルで契約した、という。まったくもってこんなに映画の余韻をふんづけまくる話もない。いくら1999年から18年間の間に観てなかった自分が遅すぎるとはいえ。

これだけの後日談が延々とあっても、それでも『アイズ・ワイド・シャット』の輝きは失せていない、と思いたい。
ファストファストの2017年の世の中では、ノロノロしてて寝そうになる映画だけど、だからこそ目が覚める思いがしたのだ。苦悩には時間がかかるということ。ファストな苦悩なんかないこと。ノロノロノロノロと無駄(に見える)時間が流れること。

この後、まだまだ、トムとニコールのゴシップが耳に入ってくるだろうけど、ふたりが元気な証拠ってことだと思う。

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