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世の中は頭の中にあるわけではない、という話。

娘のルル子と、ときどき社会問題について話をする。社会問題の中でも一番多いのは、労働系のことだ。最低賃金や、非正規雇用の問題点や、ブラック企業について。

その中で一番困るのは、だんだんとルル子が不機嫌になってしまうことだ。
どうしてルル子がそうなる? 別にルル子を非難しているわけではなくて、社会や世の中について話しているだけやん!!

そういうことが続くと、だんだんと無難な話しかできなくなるため、最近ではゴミ出しの段取りとか、料理の味付けの話や、芸能人の話題しか出せなくなってきた。

かといって、そればっかりでもなあ…… と悩んでいたところ、ひょんなことから たとえ世界が終わっても その先の日本を生きる君たちへ の存在を知り読んでみた。

この本は、橋本氏が喋って伝えたことに横から二人の若者がコメントや疑問を挟む、という構成なのだが、まさにドンピシャな場面が出てきたのである。

P.199 橋本氏からホヅミ君への会話

 でも、あなたの考え方は、世の中と自分がシンクロしているの。「世の中はそうだけど、自分は関係ないな」ってことよりも、「自分がこうである以上、世の中もそうなんだろう」っていう考え方なの。世の中が「自分の外」にあるんじゃなくて、「自分の頭の中」にあるの。だから、自分を中心にして世の中のあり方が規定されちゃう。天動説ってそういうことなんだけどね。

 その「自分のあり方」は、当然、自分の外部である「世の中のあり方」から割り出されるんだけど、そういう「自分」が出来上がった瞬間、「世の中」は丸ごと自分の頭の中に入っちゃうの。社会は「自分の頭の中」にあって、「自分が社会の中にいる」じゃないの。

橋本氏がここへ至るまでに話していたのは、「大きいものの終焉」や「経済成長はもうない」ということで、ホヅミ君はそれが納得できないでいる。納得できず、橋本氏の社会批判に、だんだんむかついているのである。

ホヅミ君は、自分にはいろいろな「欲」があるから、それとシンクロするかのように経済成長もイメージしている。なので、経済成長はまだまだある、と思えているのである。

橋本氏はさらに言う

 だから、「経済が飽和する」ってことが分からないのは、自分たちが「社会の中にいないから」なんです。物に囲まれて、よく分からない刺激に溢れた中で生きていても、「経済が飽和した社会」が自分の頭の中にすっぽりと収まっているから、「経済の飽和」がピンと来ないの。頭の中にある「社会」から必要なものを引き出すだけでいいから、そのあり方に疑問を持つという発想がないの

と、えらく丁寧に力説してくれている。ここで、わたしも少しイメージしてみた。「経済が飽和した社会」を自分の頭の外に置いてみる、というイメージを。なかなか難しいだろう。なんつっても、何かを考えるのは頭である以上、どうしたって頭の中に収まってしまうからだ。

がやってみて、外に置いて考えると、確かにこれ以上わたしに欲しいものがあるわけではない、ような気もしてくる。結局はスマホやPCの買い換えがそうだったように、時代の要請で買わざるを得なくなる何かが、出現する。

「得なくなる」といっても、それが苦痛なわけではきっとない。おそらく、それはある種の楽しさとともにある。なぜなら、売る側がそのように仕掛けてくるし、そうでないなら売らないだろうからだ。

つまり、そのときのためにお金は「とっておかないと」とも言える。たぶん、安価なものでもない。3万から6万の間とか。さらに恒久的に維持費あるいは課金が続く何か。

そう考えると、なおさら無駄遣いはできない気分になってみたり。

そんな感じで、経済を/が、回している世の中というものは、お母さんの頭の中にあるわけではないし、ルル子の頭の中にあるわけでもないんだよ、ということで、ちょっと話し始めてもいいのかなと、思ったのだった。

自民党一党独裁時代を終わらせるためには?それを考える前に、自民党最強伝説がうまれた理由

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この前、『橋本治という立ち止まり方』についてupしたけど、ひきつづき読んだら「なる・・・・」と妙に納得した事が書いてあったので紹介する。
先に要約すると、アジアの他国(特に韓国)とのパイプを持っているのは自民党だけなんだ、だからいつまでも与党であり続ける。

p.131

「戦前」の中に「戦後」はない

 日本の「戦後」というものを考えて、私にとっては不思議だったのが、どうして戦後の日本には「戦前」と手を切った新しい政治家が生まれなかったのかということだった。
 1945年8月15日の終戦を契機として、日本は革命的な変化を遂げる。その変化を実行するのは日本にやって来たアメリカの占領軍で、日本人はその指示の範囲内で「変革」を実践して行く。当然、それ以前の「軍国主義日本」を動かしていた人間達は公職追放ということになるのだけれども、アメリカ占領軍が日本から撤退して行く段階で、この人達の追放は解除になる。
 一度公職から追放され、これが解除されて復帰した人達の中には、戦後日本をリードして行った鳩山一郎、岸信介という二人の総理大臣もいる。ついでに言ってしまえば、市川房枝も公職追放解除組ではあったけれど。私は昔から、この「公職追放→解除→現役復帰」が当たり前であった「戦後」というもののメンタリティがよく分からなかった。一方では、軍国主義から民主主義への革命的な変化がある。しかし他方では、相変わらず「戦前」以来の地続き的な「そのまま」もある。「公職追放」というものは、軍国主義日本のあり方を担った人達の「一時謹慎処分」のようなもので、「一応反省したから、もうなにかを問われることはないということなのか?」などと思った。
 (中略)「新しい時代になっても新しい時代を担う人材が生まれないから、古い時代の人がそのまま時代を担うということのなっていたのか」という理解の仕方をしたからだ。
 現実社会では経験がものを言う。いくら新しい理論が登場したって、それがそのまま現実社会に適応出来るわけはない。国家主導で強引な変革が実現できる国ならともかく、戦後の日本はそうではない。理論と現実の間では、さまざまな妥協が必要になって、そお妥協を実現させる主体は、現実での中で生きて、「経験」を体現している人達だ。
(中略)
 なんでこんなことを考えたのかと言えば、NHKのテレビで「日韓関係」をテーマにするシリーズものをやっていた、(中略)

 韓国をはじめとするかつての日本の植民地だったアジア諸国との戦後に於ける国交回復は、公職追放解除組につらなるような人脈の人達によって達成された。そして、戦後に新しく独立したアジアの国々のリーダーは、なんらかの形で日本の影響を受けている。日韓国交正常化の一方の主役だった時の韓国大統領朴正煕(パクチョンヒ)は、戦前に日本の軍人教育を受けている。彼の中には、日本に対するアンビバレントな感情があるんだろう。しかし、彼が日韓国交正常化のパイプ役として求めた相手は、公職追放から総理大臣になり、六十年安保の改定後にその座を退いていた岸信介だった。
 東条英機内閣の商工大臣だった岸信介は、その以前、満州国の産業部次長で、満州国の産業経済の中心ともいえるような存在だった。その満州国に朴正煕も「日本の軍人」としていた。朴正煕が「アジアのことが分かって、日本の政界に大きな影響力を持つ人物」として岸信介を考えるのは、不思議ではない。
(後略)

(以上、政権交代した2009年までは、という話しなんだけど)

それで思い出したのは、高麗神社近辺の自民党天下ぶりは凄かった。
その一方、嫌韓で反在日運動する人も自民党支持と思われるので、ややっこしいな


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PART2『橋本治という立ち止まり方』を読む、という立ち止まり方

前回、30年以上も昔の自分史をさかのぼるのに夢中で、肝心要の本書について触れられなかった。
ので、これから触れる。

一番肝心な箇所は、著者が東京都指定の「難病」にかかってしまったということだ。
本書の1ページ目からして「なんか文章に活気がないな」とは感じたが、そのうち難病にかかった顛末が出てきた。わたしの知ってる橋本サンの文章というのは、難病であれ易病であれ病気全般と縁遠そうな、体力がありあまっているパワフルな自信が特徴だった。

それがなんとも弱々しくなっていたのだ。それで、妙に親しみを感じてしまった。

氏は、それでもこの事態にめげず、独自の乗り越え方法を編み出した。それを長いけど引用する。

 私は、体力があると気力が生まれて、気力があるとその先に知性が宿るというような人間なので、体力がなくなると連鎖反応的にぜんぶだめです。(中略)それでも愚痴を言わずに、「体力がなくなると全部だめ」の自分を立ち直らせる方法を考えました。それは「知力で気力を呼びさまし、それで体力を立ちあがらせる」という逆の方法で、そう考えて体力がなくてぼんやりと靄がかかっていることが多かった頭も、まだ疲れやすくはあるけれど、なんとなく起動するようにはなって、「体力がないからあまり大きなことが考えられない」と思っていたのが、「それじゃだめでしょ」と自覚できるまでにはなりました。

それで、「もう少し大きなことを考えよう」と思ったのだけれども、「分からない」の壁が立ち塞がって、「自分はもう終わった人だな、過去の人だな」という思いが迫って来た。(中略)(中略)

それで気を取り直して、「なにが分からないのかな?」と考え始めた。『「わからない」という方法』(集英社新書)なんかを書いた人だけあって、私は「なにがどう分からないんだ?」と探り始めると、元気になる。へんな人間かもしれないけど、「やる気を出す」というのは、そもそもそういうことだと思う。

「やる気がない」って時に、どうやったらやる気って出てくるんだろう? と悩むこと、誰にもあると思うけど、橋本サンは「ああ、こやって乗り越えたんだな」と思った。

こんな風に、誰でも「方法」ってありそう。考えることが苦手な人に考えろ、考えろと言っても逆にやる気がなくなるので、その人なりの「やる気の出る」方法を編み出すといい。自分の得意な方法で乗り越える。

って、思った。

振り返るにわたしは割合橋本方式でやってきたなと、あらためて思ったので、ここのところはほんとに共感した箇所だった。

アナウンスこの記事は2017/04/15に追加しました

PART1『橋本治という立ち止まり方』を読む、という立ち止まり方

机の上の本図書館でみつけた一冊。

・・・・という言い方は、よそよそしいかもしれない。

なにせ高校生から二十歳前後のわたしにとって、最大級の知的ヒーローだった橋本治なのだから。

ことに少女漫画評論集『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』では、目の前の世界が全部塗り替えられたといっても過言ではなく、この本が(というかこの発想と文章全部が)好きすぎてどうにかなりそうなほどだった。

『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』が連載されていたのが、『だっくす』という「漫画評論誌」で、わたしは高卒後働くならぜったいに『だっくす』だと思い、高3のとき友達と編集部に遊びに行った。

どうやったら『だっくす』で働けるのか? やはり大学を出てないとだめなのか、何大学だといいのか?

自分にとって大学は、家も貧乏だし勉強嫌いだしで完全に視野の外だったが、とにもかくにも『だっくす』に関わりたいし近づきたい、という衝動のもと御茶ノ水に赴いた。

『だっくす』は橋本氏の連載の他にも、心躍らせ震わせる要素に満ち溢れていた。可能とは思っていなかった漫画家へのインタビューなどだ。後にも先にもあんなに好きだった雑誌はない。(他は一時期の明星とか。あと別冊マーガレット。ブラックジャックが連載されていた頃のチャンピオン)

ところが、御茶ノ水の目的地に着いたら、『だっくす』の編集室は目を疑うくらいみすぼらしかった。
英知とワクワク感の王宮であるはずなのに、6畳程度の埃っぽいボロ屋の一室で、わたし達は申し訳程度の応接セットにちょこんと座った。
ちょうど小森ネコさんがいて、コーラをごちそうしてくれた。小森さんはスラっとしたとてもきれいな女性で、そこだけは少女漫画ぽかったのだが、あとはひたすら雑然とした机が二つか三つ。当時はパソコンなどはないから、紙が上にも横にも広がって量がすごかった。
さらに、その時は小森さんの他に男性編集者もいて、この狭くて汚い空間で男性編集者と一緒にすごすなんて、わたしにはぜったい無理‼ と打ちひしがれた。

 

・・・・こうして、『だっくす』で働く夢はあっけなく砕けた。

◆次号につづく(といいな~)(万一続かなかったらゴメン)


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