2008年4月30日――2026年4月25日
綺麗なファッションの世界に触れてみようと思って観た映画。
実は、あまり期待はしていなかった。
高級ブランド品が次々出てくるカタログ的な映画かと思ったのだ。まあ、それでも綺麗ならいいじゃないと、観始めた。
ところが序盤からぐいぐい引き込まれ、最後には色々と考えさせられていた。
この映画の一番の魅力は、メリル・ストリープにある。
いくら見ているこちらが女でも、視線は若くて美しい方に吸い寄せられるのが通常だ。
けれどメリルの場合は違う。この時すでに57歳と女優の美の盛りはとっくに過ぎていたのに、キュートな美女アンディを演じたアン・ハサウェイにひけをとらない視線の吸引力をもっていた。

吸引される理由の一つは、メリル・ストリープの演技が面白いことだ。メガネをずり下げて上目遣いになる、いかにも老眼の年寄りみたいな仕草をわざわざやる。なのに妙に心惹かれる。人を見下したり命令する時は、優しげに鼻から力を抜く、みたいな話し方も。
ところで、見下しているのは主人公のアンディもそうだった。
ファッションなんて、見かけばかり着飾って頭からっぽという意味合いでだろう。なにせ、アンディは一流ジャーナリスト志望だったから。
そんなアンディ、ファッション誌ランウェイの編集会議の現場を見て思わず吹き出してしまう。どっちを選んでも大差ない二本の青いベルトを、どちらにしようかと喧喧諤諤の議論を戦わせていたからだ。
吹き出したアンディをミランダが見咎めると、アンディは勇敢にも「どっちでも同じじゃない」と半笑いで言う。そこへ鼻から息を抜きつつ言い放ったミランダの一言が忘れらないものとなった。
「あなたが今着ている青いセーターは、トップモードをもっとも大衆化した最下層向け大量生産品の一部だけれど、そのセルリアンブルーは、2002年のパリコレクションを前にその一色を選び出すために、不眠不休となってまさにこの会議で、私たちが、選んだ色なのよ」(大意)(※)
……そうだったのかぁ…… 金持ちがいて貧乏人がいて、どちらも服は着るけれど、着る服の内実は随分違っていて、金持ち用の服がトップダウンで降りてきて、工場で大量生産され、その安物をこっちは着ているってわけね、がーん。
そういえば、肉や主食を自給自足している人は滅多にいないように、自分で服を縫って着ている人は滅多にいない。自分の好みで選んで着ているようで、実は衣服をめぐる格差――社会構造の中で選ばされて着ているのだ。
ファッションが意味するものと構造に気づいたアンディは、開き直ったように積極的にファッションに関わっていくようになる。積極的すぎて衣装を次々変えていくのでリカちゃん人形の着せ替えのような楽しい展開になる。
なることはなるんだが、途中から飽きてくる。観客をうんざりさせるレベルまで着替え続けたのは、わざとなのかもしれない。
勝手に思うに、この邦題は『プラダを着た悪魔』よりも、『悪魔はプラダを着る』が正確に内容を表している。もしくは『悪魔、プラダ着たり』とか。『悪魔が来たりてプラダ着る』とか。
意味は限りなく同じなんだけど、悪魔は着る服としてプラダを選ぶ、ということで、「悪魔」はミランダという傲慢な上司だけをさすのではなく、「ファッション至上主義」「ブランド至上主義」「資本主義」「視覚至上主義」……。
さて、映画の結末は、すなわちアンディの下した「決断」である。
(結末の詳細は省く)
この結末には賛否両論があった。
否も多い最後の場面においてすら、メリル・ストリープは観るものの心と視線を惹き付けてやまないものをもつ。
友達のエミリーを蹴落とし、悪魔と同じことをしてしまったと自己嫌悪するアンディに
“Everybody wants this. Everybody wants to be us.”
(誰もがこれを望んでいるの。誰もが私たちになりたがっているわ。)
と一編の迷いもなく自らの美学とポリシーを貫くミランダ。このus、シナリオではmeだったのをメリルの提案でusになったという。
usとすることで映画の深みが一段と増した。
usが誰と誰を指すのか、ミランダとアンディなのか、それともトップモード世界の住人たちなのか。それとも世界にわずか数%しかいない富裕なる人々なのか。
わたしはミランダの生き方は絶対したくないと思う。
けれど、ミランダを否定する気になれない。
いやでも憧れさせる。瞳の動かし方すら、真似したくなるほどに。
――このPOSTは2008年に書いた感想文をリライトしたものです。
続編は5月1日公開。

トップファッション誌の“悪魔”のような編集長ミランダと、彼女の元アシスタント・アンディ。別々の道で成長を重ねたふたりが、再びタッグを組むとき、ファッション業界に大旋風が巻き起こる!
