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『教育格差』を読んで。

2020年2月2日――2026年10月31日

日本は「生まれ」で人生の選択肢・可能性が大きく制限される「緩やかな身分社会」。教育格差の実態を圧倒的なデータ量で検証。すべての人が自分の可能性を活かせる社会をつくるために、採るべき現実的な対策を提案する。【商品解説】

本の目次

  • 第1章 終わらない教育格差
  • 第2章 幼児教育――目に見えにくい格差のはじまり
  • 第3章 小学校――不十分な格差縮小機能
  • 第4章 中学校――「選抜」前夜の教育格差
  • 第5章 高校――間接的に「生まれ」で選別する制度
  • 第6章 凡庸な教育格差社会――国際比較で浮かび上がる日本の特徴
  • 第7章 わたしたちはどのような社会を生きたいのか

🤔以下感想

帯に「読後感は重いが説得力は半端ではない。」とある通りズンと身に堪えて、それきりしばらく落ち込んでました。

3人の子を育てたうちですが、大学教育を受けることからは、最初から排除されていたのだと気づいて。

子どもが小さい頃から、なんか変だなぁとは思っていました。そして、いつもモヤモヤしていました。たとえば、

「子どもたち、大学に行かせた方がいいのだろうか?」「大学に行かせるには、どうしたらいいのだろうか?」「全然勉強をやろうとしないけど、子どもに勉強をさせる動機付けは何なのだろう?」

いつもいつもこの問いの中にあって、けれど答えは出なくて、結局子どもにコレといった道筋を付けてあげられませんでした。

これらのモヤモヤ(=自明性のなさ)は、自分たち夫婦(含め一族郎党)が大卒でないために起こったものだったのです。

日本の教育制度は、行き渡った義務教育や高い高校進学率もあり、いかにも平等に見えます。つまり本人のアタマ次第に見えます。けれど、そうではなくて、親が大卒であるかなしか、三大首都圏に住んでいるかどうかに大きく左右されていたのです。

要するに、学歴は金で買うものだったのです。
本書には「金で買う」とは書いてませんし、世帯年収別のデータを出しているわけではないのですが、大卒者と非大卒者では生涯年収に違いがあることから、代理的に大卒という尺度がある模様です。これ 「社会経済的地位」略称SES という用語で表現されます。

単に年収が高いだけではなく文化資本の程度も表します。高SES家庭だと大学へ行くことの自明性が高いのです。さらに、似た階層の者が近隣に住む傾向があるため、高SES同士は固まり、地域ぐるみで大学進学は当たり前の前提になり、そのことが、地域の公立学校にも反映されるのです。

日本の場合、私立の割合は小学校で1.2%、中学で7.2%とまったく高いわけではないですし、(ソース) 国認定の学習指導要領にのっとった教育がされています。なので、基本的には全国平等です。

差が出てくるのは夏休みの、「構造化されない時間」をもつ期間です。高SES家庭はこの期間も時間の構造化を行い、ダラダラと一日中ゲームなどはさせません。また、そうさせないための自明性と強い背景を持つのです。これがないと、いくら口で「ゲームばっかやってちゃダメ」と言っても少しも言うことを聞きません。さらに構造化を手伝うもろもろの質のいい塾や夏季体験、夏季ならではの学習体験をさせる経済的余裕もありませんから、ゲームでもやっててくれれば手がかからなくていいわ、となるのです。(この太字、わたしの実感です)

夏季冬季だけで足りなかったら全寮制の学校に入れてしまう、という選択肢もあるでしょう。同程度の大学進学圧の者同士が集まれば、競争原理がはたらくので、勝手に「負けるもんか」と勉強を頑張ることでしょう。※


🤔スーパーサイエンスハイスクール

本書では、スーパー・サイエンス・ハイスクール – Google 検索についても指摘しています。

スーパーサイエンスハイスクールは、2002年に始まっている公教育の制度です。一見良い事業に見えますが、恵まれた子どもしか参加できない構造になっています。恵まれた子に、さらに恵まれた恩恵を与える制度。

それならそろそろ25年経過する今、どんな科学的成果、もしくは社会への貢献、あるいは科学者を輩出しているのでしょうか?  気になるので、あとで調べたいと思います。

Educational inequality教育格差の画像検索

どの国にも教育格差はあるのですが、日本の場合は「無自覚、無意識の教育格差」と言えそうなのです。

※

[!note] 競争の機会そのものが恵まれた層に偏っているとしたら、そこで選ばれる「優秀さ」とは、いったい何なのでしょうか。


2020年に書いた内容に、ふたたび興味を持ったので再録しました😊