虚は実を超え実は虚を生む。映画『八犬伝』を観てきた!!

🥮鍵は、虚と実 なのだ。

いろいろな虚とさまざまな実が出てくる映画。
一番目立ったのは、馬琴の同時代人の歌舞伎作者、鶴屋南北の複雑な歌舞伎。
よく意味は分からなかったけれど、四谷怪談と忠臣蔵をいっしょに上演したらしい。←実話
これも、今考えると、本編の趣向に似ている。

南北と馬琴が「奈落」で対面するシーンが緊迫していた。
馬琴はこの時、勧善懲悪を遠回しに批判されて動揺する。

動揺するが、とある人に、虚も貫けば実となる、との励ましを受けて、八犬伝の執筆を続けることができた。

八犬伝といえば、わたしの世代ならNHKの人形劇が記憶にある。
特に、「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」という、今年の漢字一文字、みたいなのはよく憶えていた。

ただ、あまり意味を考えたことはなかった。

今回、あらためてyahoo知恵袋などで、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の意味を確認した。

すると、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌 という玉を持っている剣士が主人公って、よく当時の読者に「説教臭い」と思われなかったなと、感心した。
実際、ドラゴンボールの玉の場合は、★の数だものw

🥮当方がもっとも共感した「実」

妻のお百が、憎々しいクソババアと化して、馬琴を罵倒しまくる。

「ジジイがふたりっきりで篭もって何やってんだぃ」

嫉妬である。憎悪である。楽しそうな二人への。

お百は、というか女房は、というか女は、ひたすらメシの支度をし、洗濯し、つくろい物をし、近所づきあいをし、金の工面をし、腹に子どもを宿し、腹が大きくなり、陣痛とともに産み落とし、それに乳を飲ませメシを食わせ、おむつを洗い、と「実」のみを一身に背負わされる。

「実」というなら、これこそが実だ。

お百は、「虚」を味わえる男たちへ巨大な憤慨と憎悪を燃えたぎらせる。虚の中で勧善懲悪なんて書いていても、お百にしてみたら、大事な息子の宗伯を「しつけ殺し」たやつなんだから、もうこれ以上の「悪」はない。

ポスターに寺島しのぶが一応入っているが、馬琴と同じ大きさにするべきだ。

馬琴の描いたものが虚なら、対局としての実はお百なのだから。

寺島しのぶさん、よくぞここまでガッツリと演じてくれました。手を合わせて一礼したい。

この当時の女性達は教育を受けられなかった。

だから、漢字など読めない。

仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌 もヘチマもない。

ひたすらに「実」。

🥮感動でむせいだシーン

宗伯が、病弱で弱り切って痩せ細った姿で、必死で命を削ってでも、八犬伝にフリガナを振っていたところ。

学のない者が読めるように、だ。

ことに妻のお路が読めるように、だと思う。

詳しいことはわからんけど。

そしたら、虚の中で楽しめる。

大好きな宗伯さんがいなくなっても、生きていける。