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これからはヒゲ文字の美しさで勝負したい😌

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『夜と霧』で知る愛の姿

『夜と霧』、書かれたのは戦後すぐの1946年、日本では霜山徳爾訳で1961年に出版されている。(新訳もあり、両方とも再販を重ねているという)


ガス室での死、あるいは餓えによる死との隣り合わせの強制労働収容所という極限状態で生きた一人の人間の、(心理学者とか精神科医でもあったのだけれど、収容所では単に番号としての存在だった。発疹チフスが流行ったときだけ例外であったが。そしてまた、冒頭ではそこを胸を張って主張してもいた)記録。何を見、何を考え、何を体験したかという「一個人の記録」。

引用すべき箇所、立ち止まって進めなくなる箇所は複数あるけれど、特に引用することでわずかでも体験を共有してほしい箇所を引用する。

 かかる体験をいくらでも理解せしめるためには、再び私は個人的なことを語らざるを得ないのである。当時、われわれが早朝収容所から「作業所」へと行進して行く時はどんなだったろうか。命令が響きわたる。「ワイングート労働中隊! 並足! 進め! 左!二!三!四! 最前列、横隊注意! 左!左!左! 脱帽! 」その記憶は私の耳になおそれを響かせている。「脱帽」と命ぜられるのは、われわれが収容所の門を通る場合であった。探照燈の光がわれわれの上に向けられる、この時にピンとしっかりして五列になって行進しない者は長靴でひどく蹴られるのであった。また命令が出ない中に、寒いので帽子をまたすっぽりとかぶりでもしようものならもっと悪いことになるのであった。かくしてわれわれは薄暗い中を収容所から出る道の大きな石や一メートルもある水溜まりを越えてよろめいて行くのであった。何度も繰り返し傍にいる看視兵が怒鳴り、銃の台床でわれわれを駆り立てた。ひどく傷ついた足を持っている者はその腕をそれ程ひどくない隣の人の腕にかけていた。われわれの間には殆ど一語も交わされなかった。未明の氷のような風は、その方が賢明であることを示していた、上衣の襟を立てたその蔭に口を覆いながら、私と並んで進んでいた一人の仲間が突然呟いた。

フランクルは1942年9月から、1945年にアメリカ軍に解放されるまで、約2年半を収容所で過ごしている。この間ガス室行きにならずに生き延びたのは、「労働力」として使えると判断されていたから。ガス室送りには定期的、事務的に、1000人とかが選別される。この場面は、極限の理不尽という状況とはいえ生き残ってきた者の観察眼が感じられる。

「なあ君、もしわれわれの女房が今われわれを見たとしたら? 多分彼女の収容所はもっといいだろう。彼女が今われわれの状態を少しも知らないとがいんだが。」

飢えも酷い。毎日、パンひとかけらと薄いスープしか食べられない。そんな中での会話。ただ、女性たちは女性たちでひどい目に遭っている。当方、読後に深掘りして知った。この本は、著者がなんども強調する通り、個人の体験記。この人がそう言ったのは、おそらく、妻が自分より酷い目にあっているとは思いたくないことと、そして、妻が自分の今の状況を知ったらどんなに悲しむかと想像したこと、あるいは、夫としてみじめな姿を見せたくない、見せずにすんでよかった、という思いが混ざっていると思われる。

すると私の前には私の妻の面影が立ったのであった。そしてそれから、われわれが何キロメートルも雪の中をわたったり、凍った場所を滑ったり、 何度も互いに支えあったり、転んだり、ひっくり返ったりしながら、よろめき進んでいる間、もはや何の言葉も語られなかった。しかしわれわれはその時各々が、その妻のことを考えているのを知っていた。時々私は空を見上げた。そこでは星の光が薄れて暗い雲の後ろから朝焼けが始まっていた。そして私の精神は、それが以前の正常な生活では 決して知らなかった驚くべき生き生きとした想像の中で作り上げた面影によって満たされていたのである。私は妻と語った。私は彼女が答えるのを聞き、彼女が微笑するのを見る。私は彼女の励まし 勇気づける眼差しを見る。――そしてたとえそこにいなくても――彼女の眼差しは、今や昇りつつある太陽よりももっと私を照らすの であった。

(中略)

極寒の悪路を行きながら、妻が眼前にあらわれるかのような生き生きとした描写だ。こんな状況なのに、こんなことってあるのかと思わされる。フランクリンは、この後もずっとこの妻と会話し、この妻の光に照らされて生き延びる。

収容所という、考え得る限りの最も悲惨な外的状態、また自らを形成するための何の活動もできず、ただできることと言えばこの上ないその苦悩に耐えることだけであるような状態――このような状態においても人間は愛する眼差しの中に、彼が自分の中にもっている愛する人間の精神的な像を想像して、自らを充たすことができるのである。天使は無限の栄光を絶えず愛しつつ観て浄福である、と言われていることの意味を私は生まれて始めて理解し得たのであった。

(中略)

いろいろな評者が「ナチスの収容所を描ているのに不思議な明るさをもつ」「高貴、自由、麗しい心情をもって生き得たことの方に心が動いた」と胸をふるわせたのが、他ならぬこの箇所かと思う。巻末に、誰しも一度は見たことがあるガス室で殺された裸の死体の山、死体から取ったメガネの山、同じく靴の山の写真があり、つい、そちらのイメージでアウシュビッツを自分も認識していたけれど、フランクルが言いたいのは、それはただの影だということだと思う。

悲惨な痩せ細った、惨めな、人間とは思えない、虫ケラよりもひどい、何もかもをむしり取られた後の死体たちが、実は、生きている間に思っていたこと、それは誰にもわからないし、そちらの方が重要なのだ。フランクルはあの遺体をナチスから奪還する必要があったのだと思う。見た目がどんな姿であろうと、ひとりひとりの人間には心があったことを訴えたいのだと思った。

彼女の身体的存在、彼女が生存しているということは、もはや問題ではないのである。愛する人間がまだ生きているかどうかということを私は知らなかったし、また知ることはできなかった。(全収容所生活において、手紙を書くことも受け取ることもできなかった。そして事実妻はこの時すでに殺されていた。)しかし、この瞬間にはどうでもよいことであった。愛する人間が生きているかどうか――ということを私は今や全く知る必要がなかった。そのことは私の愛、私の愛の想い、精神的な像を愛しみつつみつめることを一向に妨げなかった。

この、キッパリとした断言、確信、到達した高い境地は、何者も、妻を殺すことはできない、奪うことはできないと、全世界に、世界史に、人類史に、楔を打ち込むが如く。人間の尊厳をすべて剥ぎ取られた状況でも、ここまで誇り高くなれる、人間は。

······

現代でも、極限を生き抜く術を教示してくれる本として、自己啓発的に読まれることもあると聞いた。

もちろん、読まないよりそれでも良い。実際、示唆に富むのは、

「自分にとっての人生を嘆くのではなく、人生にとって自分が何なのかを考えよう」

これには、ハッとさせられた。あるいは、「幸福を目的に生きても幸福になれない。自分がするべきことを行った結果として、人は幸福になる。」

目から鱗が落ちすぎますね。

これらの言葉はひょっとしたら、今、絶望している人の力になり得るかもしれない。

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