ロビー・ヒーロー

2022年5月24日記

鑑賞日:5月21日

『ロビー・ヒーロー』公式による紹介文

Introductionはじめに
シリーズ「声 議論, 正論, 極論, 批判, 対話…の物語」第二弾『ロビー・ヒーロー』は、2017年アカデミー賞脚本賞受賞で話題となった映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』のケネス・ロナーガンが執筆しました。 自分のやりたいことを見いだせずロビーの警備員として過ごしている若者が、おもわず口を滑らせてしまったことから起きるトラブルとその顛末を描いています。ジェンダー、上司と部下、人種など、さまざまな格差のレイヤーがある中で、彼なりに考えて起こした行動は、果たして正義なのか、正論とはいったい何なのか…。自己承認欲求がSNSであふれ出す現在、さまざまな角度から考えられ身近に感じる戯曲です。 2001年オフ・ブロードウェイ初演、翌年にはウエストエンドで上演、18年にはブロードウェイでリバイバル上演されました。新国立劇場初登場の桑原裕子を演出に迎え、日本初演でお贈りします。

【作】ケネス・ロナーガン
【翻訳】浦辺千鶴
【演出】桑原裕子
【美術】田中敏恵
【照明】宮野和夫
【音響】島貫 聡
【衣裳】半田悦子
【ヘアメイク】林みゆき
【演出助手】和田沙緒理
【舞台監督】野口 毅

キャスト

中村 蒼
岡本 玲
板橋駿谷
瑞木健太郎

舞台:新国立劇場
 小劇場

シリーズ「声 議論, 正論, 極論, 批判, 対話…の物語」の第一弾『アンチポデス』を見たので、第二弾『ロビー・ヒーロー』も見ることにした。

『ロビー・ヒーロー』のセットもなかなか素敵で、「これはニューヨークだな」と思わせるビル(の絵)を背景に、街の雑踏の音。

ガラスの扉があって中のロビーで人がもぞもぞ動いているのが見える。手前がビルの外構となっており、レンガや植え込みなどがある。

この舞台が場面に応じて回転し、
ある時はロビーの中、ある時はロビーの外での会話が繰り広げられる。

登場人物は4人。男が3人、女が1人。
🔖ジェフ(中村 蒼):マンション警備人を始めて9ヶ月の若い男。
🔖ウィリアム(板橋駿谷):ジェフの先輩警備員。正義感が強い
🔖ベテラン警察官の男(瑞木健太郎):
🔖ドーン(岡本 玲):警官見習いの女

起きている出来事は、ウィリアムの弟の起こした犯罪。
といっても、本当にやったのかどうか、事件が起きたのは確かだが、犯人グループは全部で3人いて弟がどの程度関わったのか曖昧。
ただ、明確に嘘なのは、弟が主張しているアリバイ。
弟は「その時間は兄のウィリアムと映画を見ていた」と主張していると、ウィリアムは警察から聞かされた。

しかしウィリアムは映画を弟と見に行っていない。
なのでそんなアリバイは成立しない。

ウィリアムは、最初のうちは気安い相手であるジェフに「そんな生き方でいいのか!」的に説教しまくっていたが、軽妙でおちゃらけたジェフにノせられ、じょじょにじょじょに弟のことを打ち明けてしまう。ここで黙っていれば何事も起きなかった(最低限のこと以外は)のであるが、しゃべりの渦の中でペラペラと重大な秘密を言ってしまう。

そこへ、年配の男の警官と、若い女の警官見習いのコンビが加わり、皆の思惑、正義感、欲望、復讐心、セクハラ、パワハラ、コミュニティの掟、希望、トラウマ、過激さなどが、こんがらがっていく。途中で休憩があるとはいえ、時間にして3時間、早口で4人がしゃべり倒す劇だ。

終わっての最初の感想。
「疲れたぁぁ」

そして「なんて人生ってつらいんだろう。重いんだろう。苦しいんだろう。」

これ、感想というより実感だった。

ジェフはロビーにいただけなのに、ここまで追い詰められてしまった。
もともと起きた事件が陰惨をきわめる強姦殺人であるからコメディになりようもない。
なりようもないが、折々にコメディ要素は入っている。
たとえば、女性警察官見習いの打ち明け話し。
いきなりボコンボコンに警棒で椅子を殴ったところは笑いどころだろう。
ドーン役の岡本さんがちょっと緊張していたみたいで、いまいち、笑っていいのかどうか迷ったが、やはり面白いシーンだ。

アメリカでの上演ではウィリアムは黒人が演じている(初台でも「黒人」という言葉は入っている)。
ろくな弁護も受けられないまま、適当な判決でえん罪をこうむって投獄される黒人達。
そんな現実も呈示するのが本劇だ。何が正義なのか、正義を貫くことに意味はあるのか? という思考も促す。が、日本では黒人問題に直接関わっていないために(人種問題や移民問題があるとしても)、やはりアメリカでの上演ならば、そこらへんがより克明な問題意識として伝わる内容だったと思われる。
その劇を日本に移植する狙いは何なのだろう?

日本のことわざに「口は災いの元」というのがある。

災いとしての口をもっと生かしていこうよと。絶対そんなことはメッセージしていないとは思うが、わたしはそう考えることにした。

これくらい災いをもたらして、災いの上に災いを付け足して、さらに災いを上塗りしたら、結果、案外ハッピーに出会えるんじゃないか。

実際、ドーンとジェフはそうなった、みたいな終わり方。

ちなみに疲れに関してはこう考えた。
この「疲れ」こそが『ロビー・ヒーロー』を観た、ということなのだと。あるいは「疲れの共有」こそが。短く切り上げれば2時間くらいで終わる話しかもしれない。しかし、それじゃあダメだ。2時間じゃ疲れない。疲れなければ理性が勝つ。ジャッジする心が勝つ。簡単に言えば「愛」は生まれない。

疲れよう、疲れよう、疲れ果てるまで口を動かして議論, 正論, 極論, 批判, 対話をやってやろうじゃないか。

リンク

《岡山芸術創造劇場 ハレノワ》プレ事業として、ケネス・ロナーガンによる話題作『ロビー・ヒーロー』上演。 – 日刊Webタウン情報おかやま

↑↑6月から岡山でも上演!!!!

アンチポデス

2022年5月19日記

鑑賞日:4月14日

【作】アニー・ベイカー
【翻訳】小田島創志
【演出】小川絵梨子
【美術】小倉奈穂
【照明】松本大介
【音響】加藤 温
【衣裳】髙木阿友子
【ヘアメイク】高村マドカ
【演出助手】渡邊千穂
【舞台監督】福本伸生

【出演】白井 晃、
高田聖子、
斉藤直樹、
伊達 暁、
亀田佳明、
チョウ ヨンホ、
草彅智文、
八頭司悠友、
万里紗

舞台:新国立劇場
 小劇場

演劇鑑賞Ⅰにも感想を書いている『タージマハルの衛兵』と同じ演出家の舞台なので観に行った。

『アンチポデス』、シリーズものの一作となっており、シリーズのテーマは「声 議論, 正論, 極論, 批判, 対話…の物語」だ。

このテーマを聞いたとき、ますます見たいと思った。今の時代の世界の混乱と争いと心の病を一気解決とまではいわないまでも、紐解きほぐすカナメと期待されるのが「対話」ではないだろうか? いかに「対話」を成立させるか、いかに「対話」が極上の体験になり得るか、誰にも問われているし、最大の関心事に思えるのだ。

といった観点から見ると、『アンチポデス』の舞台で7人の男と1人の女が一個のテーブルを囲んで話す話しは、「対話」とはそうそう簡単なものじゃないな、と改めて感じさせた。
まずもって、7人の男性に対して女性1人とは、随分とかたよっている。Twitterで言ってる人もいたが、世の中の縮図なのかもしれない。あるいは、性差へのこだわりを捨てているのかもしれない。

ここで当方の認識した劇の概要を述べる。

🔖テーブルを囲んでいる8人のメンバーは、自身の実際の体験を赤裸々に語り合うことで、新しいエンタメとなる物語を創出しようとしている。

🔖8人の中には記録係も入っている。彼は目の前にノートPCを広げ、皆の話を打ち込んでいる。

🔖この集まりは、とあるエンタメ界の大御所の指示。大御所自身は姿を見せず、その代理のような人物(映画監督?)を中心に、順番に自分の体験を語っていく。

🔖劇の序盤はかなり下世話で性的な話しが続く
🔖紅一点の女性にとってキツいシチュエーションに見えたが、この女性のネタもエグかったため男どもはドン引き。それにも気付かないかのように本人はニコニコしていた。

🔖途中、大嵐が来たりして(気候変動による終末現象?)、外の気配は不穏になっていくが、室内では物語が語られる。

🔖終盤になって、リモートで大御所があらわれ、皆が平身低頭し話しに聴き入る。しかし電波が悪く声がとぎれとぎれとなり、何を言っているのかほとんどわからない。ガピーガピー耳障りな中、皆は必死になって聴き取ろうとする。

🔖監督秘書の女性が用事のためにあらわれては消えを繰り返しつつ、自分の物語も語る。あぜんとするくらい他愛のない物語で、皆がリアクションもできずにいる中、本人は堂々としている。

🔖一人が、自分の体験を語る順番になって語り出したはいいが、「自分の物語を語っていると嘘を言っているような気がする」「物語にしたくない」など言い出し、呼び出されてそれきり消えた。

🔖最初に監督は「ここでは何を語っても構わない、何を言っても責められないし批判されない」と高らかに宣言していたのに、いざ非物語的なことを言われたら追放した、というわけだ。

🔖一人が突然、壮大な神話級の物語を思いついてペラペラと語り出す。皆それに感心し聴き入るも、記録係がパソコンに打ち込むのを忘れ、女性に指摘されて慌てて、最初から語り直してもらい、また記録を始める。

🔖しかしその神話級の物語も、近親相姦だなんだと風呂敷が広いだけでどっかで聞いたような陳腐な話しなのである。

といった感じで、なんかもう、笑ってしまうコメディな場面が多いのであった。
一例で言えば単なる性欲での行動を、修飾して物語りに仕立て自慢げに語る人々。けど、物語にしなければ他人に手渡すことはできないのが現実というやつだ。追放された男が「嘘を言っている気がする」というのは実際本当にそうなのだけれど、だからといってナマで手渡すことが、どの程度、妥当なことなのか?

それでも、あの人物を追放しちゃいけなかった、と思う。あの人物を追い出さず対話を続けたなら、何かが生みだされた気がするのだ。彼一人では無理だろうが、あのメンバーで対話していれば‥‥。

リンク

新国立劇場『アンチポデス』『ロビー・ヒーロー』『貴婦人の来訪』3作品の出演者発表! | えんぶの情報サイト 演劇キック

海外の批評

海外でのキャスト 男女比はやはり同じだ

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