NetFlixの『三体』と原作の『三体』を比べてみよう
【先日、NetFlix版と原作小説、あと中国制作版も少し見たannaka21が伝えます】
3月21日に公開されたNetFlixの『三体』。
原作の『三体』は2015年にヒューゴー賞を受賞した長編SF小説。
作者は中国人の劉慈欣(りゅう じきん)氏。
ザッカーバーグやオバマも読んで絶賛したことで有名。
ってことを翌々日くらいに調べて知った。
ともかく、見ようかどうしようか迷っているうちに一話の再生ボタンを押していた。
そしたら、引き込まれたネこれは。
第一話、科学者たちの連続自死と、その場に残された遺留品やら壁の血文字やらの怪奇性。
その謎を追う、ヘビースモーカーで太っちょの、中国系刑事(諜報員?)、史強(シー・チアン)。
科学者がなんで何人も自殺する? と思っていると「それやっちゃダメ!」なVRゲームを、やはり科学者の一人、ジンが始めてしまう。
一方、ジンの親友オギーの目にはカウントダウンの数字が、大きな飛蚊症のように見えてしまい恐怖に震える。
ジンとオギー、あと他の3人で構成される「オックスフォード5」が、原作での主人公格、汪淼(ワン・ミャオ/男性)にあたる。
登場人物のほぼ全員が中国人の原作と違い、Netflix版は人種と性別がバラバラだ。
「グローバル」で「ダイバーシティ」ってことかと。
「グローバル」で「ダイバーシティ」にするメリットは、より広範に視聴者をつかめることだ。中国人しか出演しなかった場合、残念ながらそっぽを向く人も多いと思われる。
わたしはネットフリックスの見てあんまり面白くて、小説の『三体』をAudibleで聴いたんだけど、これもド偉く面白かった。
ド偉く面白いと思ってると、わたしなぞの遥か以前に誰も彼もすごいすごいと言っているわけなんだけど、当然こちらもそう。
いや、言ってなかったら逆に焦る。
「グローバル」で「ダイバーシティ」にしたことで失ったものもある。
小説版の方には、東洋から見た宇宙が広がっているのだ。東洋から見た「宇宙人とのコンタクト」も。あるいは、「東洋から見た物理」「東洋から見た科学的真理」などなど。
過去に出会ってきたほとんどの「宇宙」も「宇宙人とのファーストコンタクト」も西洋視点のものだ。
いや、そんな事を意識したこともないくらいに、普通に宇宙は西洋の独壇場だった。
ところが、『三体』を読むと、星の数も星までの距離も西洋と同じはずなのに、なんだか違って見える。他人ではなく自分のものに近い宇宙。
ここが一つ、Netflix版との違い。
共通点もある。
冒頭に「文化大革命」が来ていることだ。
「文化大革命」が何なのか、わたしは寡聞すぎて知らなかったのだけど、後日調べてみても、やはりよくわからなかった。どうも一種の狂気が支配した時代のようだ。根っこには毛沢東崇拝が絡んでいる。社会主義を樹立するために、お互いを監視し合ったり、細かな派閥に別れて糾弾しあった。
イェ・ウェンジェの物理学者の父は文化大革命のときに「反動的学術権威」と罵倒されて撲殺された。ここらへん、ハヤカワの公式サイトにもあるのでネタバレではないから書くけど、その絶望がこのドラマの根底にある。
「反動的学術権威」とは酷い言いがかりをつけたものだが、イェ・ウェンジェの父はごく当然の物理学の基本である相対性理論などを教えていた。撲殺したのは、かつての教え子たちだ。(メインで撲殺したのは田舎出の中学生の女子4人とはいえ)さらに、彼の妻も糾弾に加担した。
それをただ黙って見ているしかなかったイェ・ウェンジェ。
Netflix版でも描かれているキーとなるシーンであるが、ここに関しては圧倒的に小説の方が真に迫ってくる。虐殺される側とする側の細かな心理や一挙手一投足が。
そしてまた小説の方が優位だったのは、文化大革命のような強権が作動したとき、真理なんてものはたやすく歪められる、ということ。三体星人が地球の科学者達に行うように。
どういう時代であろうと、宇宙人であろうと、権力をもつものは真実を歪める力を持つ。
その普遍性が『三体』を荒唐無稽なくせにジンワリと肌に染みてくるような皮膚感覚のあるものにしている。小説の方がより明瞭に。
それならNetFlix版はダメなのかというと、そういう事はない。NetFlix版は『三体』の続きの『三体II 黒暗森林』と『三体III 死神永生』からのepisodeも引っ張っている様子?(そちらは未読)なので、NetFlixのオリジナルかどうか分からないけれど、ジンが海に流した紙の舟のシーンはほんと良かった。
それに、ラストシーンも良い。原作でもワン・ミャオが知識階級で、難解な事象を理解できてしまうゆえのひ弱さを持っていたわけだが、それと対照的なシー・チアンは、知識階級の知恵を超える地球というもの、地球の自然の力を、指し示す。
地球温暖化をはじめ、環境問題が煮詰まり、人類に絶望するしかないレベルに到達しかけている今、どこかにいるなら宇宙人にでも助けて貰いたい、と思いそうになるところ、いやいや、そうじゃないんだよ、
そうじゃないんだよ。地球をもう一回観てみろよ、と。
原作にもあったシーンであるが、よく表現できていた気がするのだ。
僭越ながら、わたしはエヴァンズに思想的に近いですな。ひっどい死に方するんだけど。
あと、三体星人は実際は、人間が見たら嫌悪感をもよおす外見なのだ。
第Ⅲ部人類の落日 に出てくる1379監視員↓↓イメージ