あらためて魅了される翻訳、中村融 訳『何かが道をやってくる』

「季節」という言葉がもっともふさわしいのは10月、オクトーバー、何かが道をやってきそうなハロウィンを目前にひかえた今。

毎年10月に読み返す『何かが道をやってくる』。古い文庫で持っているのだけど、字が小さすぎて無茶読みにくいし、紙が黄変して汚い。なので、思い切って電子書籍で買ってみた。

おもむき、ないだろなー と思いつつ。

したら、これが、案外と読みやすくて、あらためて中村融(とおる)という人の訳文のうまさにうなってしまった。

少年ならだれでもそうだろうが、ふたりはどこへも歩いて行かない。ゴールを定めて、押しのけあうようにして走りだすのだ。勝者はいない。勝者になりたい者もいない。友情の証しに、影と影になって永遠に走りたいだけなのだ。

他の人の翻訳も読んだけどこうはいっていなかった。少年達のエロス。大人の目からみての。そして彼ら同士の。

それらを素朴に楽しんでいられた時代への懐かしさとともに、あらためてこの本が好きだーーと思った。

何かが道をやってくるの世界観に惚れぬいた人間の訳が、やっぱ一番素晴らしい。