inseparable 変半身(かわりみ)

2019年12月1日記

原案:村田沙耶香 松井周

脚本・演出:松井周

出演:金子岳憲 三村和敬 大鶴美仁音 日?啓介 能島瑞穂 王宏元 / 安蘭けい

かーなり難しかった。
冒頭から理解エネルギーを要する。
「レアゲノムの密猟者を捕まえないとダメじゃないか」「取り逃がすとは何事だ」と怒る三輪さん。(人名はうろおぼえなんで違うかも。以下同じ)

レアゲノムが何なのか? というのも、ちょっと理解しにくいのだけど、この世界、従来の性行為〜生殖〜出産 というプロセスが大幅に管理され、生殖テクノロジーでしか子孫を残さないらしき世界。従来の性行為は今では「ノラ交尾」と呼ばれ、ギャハハっと皆が笑ってしまう。
現在人間が行っている性行為〜生殖〜出産 も、時代が変わればそんな風に見える可能性は十分にあり、この異化効果には面白いものがあったことはあった。

ここまでだと「SF」という枠組になるところ、劇はそんな枠は拒否した。

さっきまで普通に話していた秀君が、衣装を着替え、国産み神話を説明し始めたのだ。

かなり奇妙奇天烈な国産み神話で、詳細は劇あるいは小説にあたって頂くとして、ある種、おおっ!! と思った。
本来の国産み神話は、イザナギとイザナミの2人がクルクルと柱を回って、先に女性が求婚したために蛭が生まれた。
仕切り直して男性が求婚したら日本列島が生まれた、というもの。(日本列島といっても、北海道や沖縄などは含まれていない)

日本の根強い男尊女卑のルーツはここにある。
いつまでたっても、夫婦別姓議論が深まらない理由の根源も。

日本の国産み神話を後生大事に語り継ぐくらいなら、こうやって、ぜんぜんデタラメでふざけたやつで上書きしてくれたら、そっちのが世のため人のためでイイネ!!と思ったのである。

しかし劇は、そういった問題意識の枠は拒否した。

あれもこれも拒否された感のある展開中、

ちょっと面白いと思ったのは、さりげなく色合いに凝っていたことだ。
登場人物みなが緑色の服を着ている。その一方、室外には真っ赤な紅葉が絨毯のように敷き詰められている。
この真っ赤な落ち葉にときどきスポットライトが当たって異様に綺麗。

何を隠そう、劇の女性登場人物の1人(名前失念)は、ノラ交尾で出産したらしく(???ここらへん、確信はもてないけど)娘が色覚異常なのである。やったー!! 嬉しい。

赤、緑ラインはその事のひっかけであり、同時に、日の丸の赤を意識している。と、思われる。

色覚異常が出てきたのは、遺伝、という昔ながらの宿命のわかりやすい構図となっているからだろう。そういえば先日「性同一性障害」の本を読んだのだが、びっくらした。

従来、女性の性染色体はXX 、男性はXYというのが常識だった。

ところが、性同一性障害ではXXY や、XXXYなどもある、という。

今まで、XX と、XY という組み合わせしかないと思っていたものが複雑多岐になってきたのだ。

劇中の国産み神話のコンビも、それに近いものがある。

この兄弟、神らしいのだけど、劇はどういう解釈も笑いも涙も拒否しているのでどうと説明はできないのだけど、ときどき「ドラマ」みたいに感情が爆発して「告白」していた。逆にこういう「人間的」な場面が妙に引き立ってドギマギだ。

ただ告白してどうなった、というものでもなく、だんだん劇に慣れてくると「理解しよう」という安易な営為を放棄することにほぼ成功していた自分である。

芸術とは人間を描くものだと思っていたが、人間じゃないものを見せてくれた、という感覚が残った。

なかなか希有な体験だ。

インフォ

東京芸術劇場の説明
inseparable「変半身(かわりみ)」 | ロームシアター京都