
寡聞な当方、初めて『僕が死のうと思ったのは』を聴いた。
2週間前、ある芸人氏がK-POP遍歴について喋っていて、「あ、そういえばK-POP最近聴いてない」と思い出した。
当方の場合EXOのウルロンからハマったK-POPだから、その芸人氏もウルロンを激賞してて嬉しかった。
今もEXOをLINE登録しているので、だいたいの活動は知っているものの、当初の中国人メンバーが去っていったショックは大きかった。←古いけど
ジュンスのいたJYJも本当に傑作な曲出していたけど、メンバーの一人が何かで捕まっていた。アーティストの場合、人眼にさらされるストレス、クオリティを下げるわけにいかないプレッシャー、それでいて多数の一般人の心を揺さぶる普遍性や普通の感覚も保っていなければならないなど、求められる要素が多いし矛盾しているから、薬物もしくは性的逸脱の危険は常にある、気がする。
とはいえジュンスは健在だ。この人の声の持ち味はハスキーでややしゃがれていることと時々しゃくれること。
わたしは寡聞にしてこの曲聴くの初めてなんだけど、どうやら日本の曲で、ジュンスはそのカバーをしている。
誰のカバーかまでは知らなかったけど、最後まで聞き終わる前に、相当な名曲なのが解った。
「僕が死のうと思った」その理由が、ひとつひとつ、生きる、ということの細部の発見だった。で、時々「冷たい人と言われた」という誰しも身に覚えのあるような、けれど堪える体験も混じりつつ、六畳一間で見えない敵と戦うという歌詞には本物の体験を感じさせる、鬼気迫るリアルさがあった。
そして、空耳かと思って聞き直したのが、最後のワンフレーズだ。聞きようによっては傲慢とも取れる世界観の転換が訪れるのだ。傲慢というより危険、かもしれない。
聞き直して、やはりそのワンフレーズであることを確認した当方は、
なんだ、なんだこれはー!!
と思いつつ、ジュンスの歌がとてもうまいので何度もリピートした。
と、同時に、他の人がどう歌っているのか気になってしかたなくなった。
ことに最後のフレーズをどう解釈し、どう歌うのか?
それによっては、歌のうまい下手の問題どころではなくなる。
しばらくして作った人が「amazarashi」なのを知った。
この人(というかグループ?)は息子に尋ねると「特に20代にすごい人気がある」とのことで、息子は存在を知っていたわけだけど、当方はまったくの初耳。
amazarashiの歌っているバージョンも何度も聴いた。独特の質感の、なんつうのか、田舎っぽい、けどすさまじくよく伸びる、隣のおじさんが話しかけてきたような親しみと、親しみだけじゃ終わらない激しい感情の手におえなさ。
なんだこれは~
と思い、このあたりで正式に検索して、『僕が死のうと思ったのは』はamazarashigが2013年に中島美嘉に提供した楽曲なのがわかった。そうだったのか。しかし、他の二人が十分に感銘を与えているため、中島美嘉のを聴くのが怖くなった。ちょっと昔のを聴いたら「けれどー」が激しく、若かった。
それでも、この曲が日本でも韓国でも人々の心に深く染み入っているのをコメ欄で見ると、やはり、聴かねばと思い
✨나카시마 미카(中島美嘉) – 내가 죽으려고 생각한 것은(僕が死のうと思ったのは)|한일톱텐쇼 31회
を開いた。なんと今年2025年、中島美嘉は韓国のテレビに出演し『僕が死のうと思ったのは』 を披露していたのだ。
死のうと思った理由は桟橋で海猫が鳴いたりと、小さなことなのだけれど、中島美嘉は本当に目の前で海猫が鳴いているみたいに、その海猫を驚かさないようにささやくように歌った。
その後、かつて叫んだ「だけどー」はそんなに大きな声ではなく、誰しも弱い生き物だから、変なことじゃないよって感じで歌っていた。死にたくなる理由としてもっとも共感されている「生きることに真面目すぎる」くだりは、ほんとうに真面目に、そして丁寧にあたたかく。
一番むごい映像をイメージさせる六畳一間での予感は、ほんとうつらく孤独に。
耳がもぎ取られ鼓膜がもってかれ、魂が100コあってもたらないくらい涙腺崩壊し、羽をむしられた鳥になったみたいに全身鳥肌がたった。
これ以上の感動は振り絞っても生まれようがないレベルまで高まったあたりで最後のフレーズが来た。
「期待」という言葉には、それまでオーディエンスに与えていた感動が全部おじゃんになりかねない不安定要素がある。たとえば「お前が期待される人間になれよ」と言われかねない。
が、中島美嘉はなんのその。そんな下らないバカは歯牙にもひっかけていない。むしろ彼女は、ちょっと戦闘的と言えるくらいな印象を与えた。「世界よ、この期待に応えろよ、わたしのこの期待を裏切るんじゃねーぞ」くらいの強さを秘めた、けれどもちろん暴力的な脅しなんかじゃなく、世界が必ずその期待に応える、と確信したかのような。
そのことの何がこんなに咽び泣かせるというのか、
きっと、世界を生みおとす瞬間のお産婆さんの仕事に立ち会ったような気持になったからだ。
その待合室にはいつまでもいつまでも嬉しいすすり泣きが続いたのだった。