39年前、日航123便はどうして、どうして墜落したのか。その後に何が起きたのか?

1985年8月12日18時56分、日航機123便が「御巣鷹の尾根」に墜落したという事件。

その時23歳だったわたしは恋愛まっただ中だった事もあり、この事件についてあまり記憶がない。(翌年のスペースシャトル「チャレンジャー号」の事故ならばTV画面でリアルタイムで観ていて、当該彼氏と腰を抜かしたことを憶えているのだが)

あまり記憶がない理由は他にもある。この時代に飛行機旅行をできる人間があまりにも金持ち(成功した社会人)に感じ、縁遠い出来事に思わせたことだ。

ひがみとは怖ろしいものである。

ただ、記憶がないとはいっても、この飛行機事故の原因が「ボーイング社の修理ミス」という事になっているのは知っていた。

というか、つい2週間前までそう思っていた。

ところが、そうでは「ない」らしいのだ。

しかも、そうでは「ない」ことは、メディア系の人間や政治関係者にとっては周知のこと、らしいのだ。

はーーーー!? どんだけ、言論統制された国なんだ!?

2024年、「報道の自由度ランキング」でまたまた順位下げ70位というのも激しく頷ける。

そら、メディアの人も人間だもの、自分の地位と財産は死守したいでしょうよ。
けど、限度ってもんがあるよね。

しかもしかも、この事故、助けられた多くの人命を見殺しにした事件なのだ。