権力をたてに性犯罪する喜多川について

ジャニー喜多川(以下「喜多川」)が、長年に渡って少年達に性犯罪を行っていた。
BBCが3月に報道した。
日本の識者のある人は「誰もが知っていることだった」という。
本当にそうだろうか?

確かに、そういう話しは聞いたことはあった。が、わたしの抱いていたイメージはこうだ。

頻度はきわめて低いが、たまたまその時喜多川の手が伸びてしまった、運の悪い少年が犠牲になった

いたって喜多川に好意的なイメージであるが、ぼんやりとそう思っていた。
もちろん、それとて犯罪である。許されない行為である。
が、雑誌、テレビで明るい笑顔をふりまく彼らの姿と結びつかないこともあり、そういったイメージ以上のことは考えたことがなかった。

ところが今回「岡本カウアン」が記者会見で話した内容によると、それどころではないのが見えてきた。

喜多川の所有するマンションにベッドが多数用意されており、夜毎に誰かがターゲットとなり喜多川は少年のベッドに潜り込んで身体~性器を蹂躙する。
それを拒否しようものなら、露骨に扱いが雑になり、芸能界で生きられる場所がなくなっていく。
いつから始まったのか、常態化しており、その後売れていったアイドルスターはすべてこの性犯罪被害を経ている。

こうなると自分の知っているジャニーズアイドルを思い浮かべ、じゃあ○○も? △△も? ■△も? としばらく呆然とした。

他の識者が言うに「インセンティブがない」ので、結局○○も△△も■△も、その他も、喜多川から受けた性被害を訴えることはないであろうと。

↓↓事態を整理するため、簡単に時系列にした↓↓
(年齢には ±1を加味のこと)

時期 喜多川の年齢 出来事
1978年 47歳 フォーリーブス解散
1988年 57歳 光るGENJIへ』出版(フォーリーブスのメンバーだった北公次が喜多川の性加害を告発) ジャニー喜多川 公然の秘密 【#02マスコミ総スルー】
1999年 68歳 『週刊文春』がキャンペーンをはる
1999年10月から14週にわたってキャンペーン報道を展開。被害を受けたジュニアたちの告発をもとにジャニー氏による性的虐待の実態を明るみに出した文春
2002、3年 72歳 喜多川、文春を相手取った裁判で有罪判決受ける
少年たちが断ることのできなかった弱い立場にあることを利用して、ジャニー喜多川が自己の欲求を満たしていたことについて、次のとおり指摘している。 「被害者である少年らの年齢や社会的ないし精神的に未成熟であるといった事情、少年らと一審原告との社会的地位・能力等の相違、当該行為の性質及びこの行為が少年らに及ぼしたと考えられる精神的衝撃の程度等に照らせば、少年らが自ら捜査機関に申告することも、保護者に事実をうち明けることもしなかったとしても不自然であるとはいえず、また、少年らの立場に立てば、少年らが、一審原告のセクハラ行為を断れば、ステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなると考えたということも十分首肯できるところであって、この点の前記〈証拠〉の各証拠は信用できるものというべきである。」裁判所が認定したジャニー喜多川による少年への「淫行行為」 |みどり共同法律事務所
2012年~2016年 80歳~85歳 岡本カウアンのジャニーズ事務所在籍期間=喜多川から性被害受けていた期間
2019年 87歳 喜多川 6月入院 7月死去
2023年 BBCが喜多川の性加害について放映

識者の多くがいうことは2点ある。
1.メディアが総スルーすることへの大批判
2.このままではジャニーズが進出しようとしても海外では認められない

1のメディア総スルーはメディアが考えるべきことだろう。

2の方、
海外はそうだろうが、日本としてどうなのか。日本ならば許されるのか、日本ならどうなんだ?
日本はそれを「仕方ない」として大目にみるのか?

大目に見る言い訳ならいくつか挙げられる。


1.それが日本
2.昔から日本には衆道ってあるから小姓みたいなもん
3.熱烈ファンが求めるんだから出さないわけにいかない
4.大人の事情
5.それが日本社会
6.強い者に逆らわず空気読むのが日本
7.北公次なんかも、最期は喜多川に感謝している
8.今スターになっている人も、別に苦悩していない、むしろ喜多川を慕っている(嘘かもしれないが少なくとも表面上は)

7,8あたりは確かに「別にいいもんなのか?」と首を傾げ、よく分からなくなる。

が、子どもを犠牲にしていることは、まぎれもない事実ではないだろうか?
統一教会問題総スルーと同じだ。

NHKはじめ大手メディアがジャニーズは問題なし。ジャニーズは素晴らしいと、お墨付きを与えてきたことは、確実に言えるのだ。
いくら北公次が告発し、文春がキャンペーンをはっても、それを打ち消すほどの力が、NHKや大手メディアにある、ということだ。

統一教会も、大人の信者で自分から信仰を始めた者は、大金を献金して救われる心理があるだろうが、とばっちりをくうのは宗教二世であった。
つまり、子ども達だった。

いつまで子どもをイケニエにした「日本社会」を続けるのか。

大人は、大人同士で対立し、闘争し、やりたいようにやればいいが、子どもだけは守る姿勢を持つべきだ。