菜食主義者
女性、そしてお隣の国韓国の作家がノーベル文学賞を受賞した。
アジア人女性では初、だという。
名は한강、Han Kang、ハン・ガン、生まれは1970年11月。
最新作は2021年、著者51歳の時の作『別れを告げない』、日本では斎藤真理子訳で今年の3月に白水社から出版された。
わたしは最新作に気づくのが遅れ、タイトルが興味をそそる『菜食主義者』を先週読んだ。
『菜食主義者』の方は、2007年著者37歳の時の作品で日本では2011年に出版されている。(訳きむ・ふな)
ということは、現在53歳の彼女にとって若い時期の作となるだろうし、時代としても今から13年も前と一回り古い時代、となる。
ノーベル文学賞って、時代による経年劣化のない普遍性の高い小説が受賞するかと思うけど、実際、古さは感じない、というより、今の時代によりいっそう迫ってくるものがある。
一冊の本としては三部構成となっていて、各章の題は「菜食主義者」「蒙古斑」「木の花火」だ。
主要な登場人物はヨンヘ、その夫、ヨンヘの姉、その夫、の四人。
「菜食主義者」ではヨンヘの夫が語り、「蒙古斑」ではヨンヘの義兄が語り、「木の花火」ではヨンヘの姉が語る。
三人がおもにヨンヘについて語る中、「菜食主義者」の中で太字になっているところがヨンヘの夢の内容なので、ヨンヘが語っている。
ヨンヘは見た夢のことは教えてくれたが、それ以外の語りはないので、夫について姉について義兄について、さらには父について、母について、肉食について、木について、入院させられた精神病院について、主治医について、その治療について、どう思っていたのかはわからない。
夢と現実が反転している、とも言える。
もとより、ヨンヘは菜食「主義者」になったわけではなく、ヨンヘのことを「菜食主義者」と言ったのはヨンヘの夫だったり、世間だったりする。
ただ、今考えたら、夢と現実が反転しているようなのは、他の三人もそうだ。
ヨンヘの姉について、「木の花火」の中にこういう記述があるくらいだ。
向かい側には古い鉄骨がむき出しになった仮設建物が立ち並び、車両の通らない端の枕木に間に、手入れされていない草が長く伸びていた。ふとこの世で生きたことがない、という気がして彼女は面食らった。事実だった。彼女は生きたことがなかった。記憶できる幼い頃から、ただ耐えてきただけだった。彼女は自分が善良な人間だと信じ、その信念のとおり誰にも迷惑をかけずに生きてきた。誠実だったし、それなりに成功し、いつまでもそうであるはずだった。しかし理解できなかった。その古くて朽ちた仮設建物と長く伸びた草の前で、彼女はただ一度も生きたことのない子どもにすぎなかった。
ここには彼女と草と仮設建物が出てくる。生きているのは草、だけだ。
それでも誰かが、「生きていない、と考えることができるのが人間ですよ、人間が生きるとはそういうことですよ」というかもしれない。しかし今、「生きたことがない」「生きていない」と彼女が思う以上、やはり彼女は生きていない、と、も言える。
「木の花火」では、ヨンヘは精神病院に入院している。
人間として生きたくないヨンヘは、自殺したいのとも違うのだが、どっちだろうが他者から見たら狂っているので病院に入れられてしまった。
病院は病院で生かすのが仕事であるから、あらゆる医療手段を講じて生かそうとする。
そんな中、ヨンヘは病院を抜けだした。ほとんど奇跡のように病院職員が発見することができた。その時、発見者が語ったことによると、
深い山のひっそりした斜面で、ヨンヘはまるで雨に濡れた一本の樹木のように、微動だにせず立っていたという。
感じ方によっては、なんて陳腐な表現だろう、と反発心もわく。
あるいは、何をバカなことをやっている人物だろう、理解できない。
あるいは、人間は木にはなれないよ、構造が違うのだから当たり前だろう。
ただ、それでも、ヨンヘを自分の娘とか、妹だと思って読み直す。
すると、本当に悲しくなるのだ。
こんなにも木になりたい女。
こんなにも人として生きることがイヤでたまらない女。
精神科では手に負えない生命の危機となり、救急車で一般科病院へ運ばれた。ヨンヘの姉、キムが付き添って。
『菜食主義者』はその車中が最後の描写となる。
キムはこの後どうするのだろう?
キムとヨンヘは、長い悪い夢から目覚めることができるのだろうか?
予感するのは、姉妹のどちらか一人でそれはできないだろう、ということ。
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